「あの人らしさ」が揺らぐとき――せん妄という現象と、本人・家族に寄り添うケア

「いつもと様子が違う」「話が通じない」「人が変わったみたいだ」——終末期の家族がある日突然、こうした違和感を抱く瞬間がある。それまで穏やかだった人が怒りっぽくなったり、何もない空間に向かって話しかけたりする。これが、せん妄と呼ばれる状態である。せん妄は本人を苦しめるだけでなく、それを目の当たりにする家族や医療・介護従事者にも、大きな戸惑いと心労をもたらす。本稿では、せん妄とはそもそも何なのか、どのような仕組みで起こり、どう治療し、そして本人と家族それぞれにどう向き合うべきかを、順を追って見ていく。

Contents

1. せん妄とは何か:意識の輪郭がぼやける状態

1.1 身体の不調が、意識のありようを変えてしまう

せん妄とは、身体疾患や薬剤などの影響によって生じる、意識障害の一種である。軽症から中等度の意識障害によって、精神活動の機能不全が引き起こされる。具体的には、注意を向けたり維持したり切り替えたりする力の障害、睡眠と覚醒のリズムの乱れ、感情の変動、幻視や錯視といった知覚の異常など、実にさまざまな症状として現れる。

せん妄による意識障害には、3つの特徴がある。症状が短期間のうちに出現すること、夕方から夜間にかけて症状が増強すること、そしてせん妄で見られる妄想は一過性であることが多いという点である。認知症のようにゆっくりと進行するのではなく、ある日突然、しかも夜になると強まる形で現れる、という時間的なパターンを知っておくことは、せん妄を見分ける大きな手がかりになる。

1.2 「本人らしさ」を見失わせる、もう一つの顔を持つ病状

せん妄は、うつや認知症の症状と似ている部分があるため、診断に時間を要することがある。医療・介護従事者が、うつや認知症などの疾患とせん妄の違いをしっかり認識し、アセスメントすることで、正しい診断がなされるようサポートすることが大切になる。

せん妄は、混乱や恐怖感といった不快な感情を引き起こし、「その人らしさ」を損なってしまうことが多い。さらに、家族や医療・介護従事者とのコミュニケーションの妨げとなり、対応には多大な心労を伴う。だからこそ、せん妄の原因を突き止め、正しく対応することでせん妄の改善を目指すこと、そしてせん妄に関する正しい情報を家族に提供することが、せん妄対策には欠かせない。

1.3 国際基準に基づく診断の枠組み

せん妄の診断は、米国精神医学会によるDSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)の診断基準に基づいて行われる。下記のA〜Eすべてを満たす場合に、せん妄と診断される。

Aは、注意の障害(注意の方向づけ、集中、維持、転換する能力の低下)および意識の障害(環境に対する見当識の低下)。Bは、その障害が短期間のうちに出現し(通常数時間〜数日)、もととなる注意および意識水準からの変化を示し、さらに1日の経過中で重症度が変動する傾向があること。Cは、さらに認知の障害を伴うこと(記憶欠損、失見当識、言語、視空間認知、知覚など)。Dは、基準AおよびCに示す障害が、他の既存の、確定した、または進行中の神経認知障害ではうまく説明されないし、昏睡のような覚醒水準の著しい低下という状況下で起こるものではないこと。Eは、病歴、身体診察、臨床検査所見から、その障害が他の医学的疾患、物質中毒または離脱(すなわち、乱用薬物または医療品によるもの)、または毒物への曝露、または複数の病因による直接的な生理学的結果により引き起こされたという証拠があることである。

1.4 せん妄がもたらす、見過ごせない数々のデメリット

せん妄は単に「一時的な混乱」では済まされない、さまざまな弊害をもたらす。コミュニケーションが妨げられること、不穏や徘徊がみられること、転倒・転落のリスクが高まること、他者に危害を及ぼす恐れがあること、昼夜逆転など生活リズムが乱れること、日常生活行動に障害が出ること、点滴や管といったチューブ類への注意が障害され危険行動が増えること、恐怖感や不安感などの苦痛を生じること、家族に大きな動揺をもたらすこと、そして医療・介護従事者の疲弊の要因となること——これらが、せん妄が引き起こす代表的なデメリットとして挙げられる。一つの症状が、本人、家族、そしてケアに携わる専門職という、三者すべてに波及していく点が、せん妄という症状の厄介さを物語っている。

2. せん妄にも種類がある:3つのタイプ

せん妄は、現れ方によって主に3つに分類される。

2.1 興奮して動き回る「過活動型せん妄」

1つ目は「過活動型せん妄」である。いわゆる不穏状態といわれるもので、興奮して動き回るなど、活動性が高まるせん妄である。周囲から見ても異変に気づきやすいタイプだと言える。

2.2 静かに内にこもる「低活動型せん妄」

2つ目は「低活動型せん妄」である。低活動型せん妄では、静かで内向的になったり、眠って過ごす時間が増えたりするなど、活動性の低下がみられる。一見するとぼんやりしているように見えるが、発している言葉をよく聞いてみると、幻視がある場合も多い。

とくに、低活動型せん妄は過活動型せん妄に比べて目立つ行動が少なく、医療・介護従事者にとって問題化されにくいため、気づかれにくいという特徴がある。「おとなしくなっただけ」「疲れているだけ」と見過ごされやすいこのタイプこそ、むしろ注意深い観察が求められるタイプだと言えるだろう。

2.3 両方の顔を併せ持つ「混合型せん妄」

3つ目は「混合型せん妄」である。混合型せん妄では、過活動型ならびに低活動型、両方の症状が認められる。

3. 終末期とせん妄の、切っても切れない関係

3.1 がん患者の約7割が経験するという現実

「終末期せん妄」は、一般的には終末期患者に生じる、治療困難なせん妄のことをいう。過活動型の場合も、低活動型の場合もある。がん患者では約70%が終末期せん妄を体験するという研究結果もあり、せん妄は終末期に頻発する症状であることがわかる。これほど高い頻度で起こるにもかかわらず、せん妄が見過ごされがちなのは、低活動型のように気づかれにくいタイプが少なくないことや、終末期という状況そのものが「仕方のないこと」として片づけられやすいことが背景にあると考えられる。

3.2 「仕方がない」で終わらせない、という姿勢

しかし、終末期せん妄であっても、原因によっては改善が見込まれる場合もあるため、医療・介護従事者が「終末期だからせん妄があっても仕方がない」とあきらめるのではなく、原因の精査と日常ケアの見直しを行っていくことが重要である。終末期という事実が、せん妄への積極的な介入をあきらめる理由にはならない、という姿勢が、この分野のケアの根底に流れている。

4. せん妄を引き起こす3つの因子

4.1 単独では起こらない、複合的な引き金

せん妄の原因には、3つの因子がある。これらの要因は、単独でせん妄を引き起こすわけではなく、複数の要因が複雑に絡み合ってせん妄を引き起こすと考えられている。せん妄に対して効果的な介入を行うためには、この3つの因子について正しく理解しておくことが重要である。

4.2 準備因子:せん妄の「なりやすさ」を決める土台

準備因子に対しては、せん妄発症のハイリスク要因と考え、予防策を検討する。準備因子とは、高齢であること、認知症、脳器質性疾患の既往、アルコール多飲、せん妄の既往といった、せん妄を引き起こす素地となるものである。いわば、その人がもともと持っている「せん妄への傾きやすさ」を示す要因だと言える。

4.3 促進因子:医療・介護従事者が最も介入しやすい領域

促進因子については、医療・介護従事者の観察力やアセスメント力で比較的介入がしやすいといえる。促進因子には、身体的苦痛(不眠、疼痛、便秘、尿閉、視力障害、聴力障害、身体拘束など)や、精神的苦痛(不安、抑うつ)、環境の変化(入院、集中治療室、騒音など)が含まれる。これらは、本人を取り巻く日々のケアの質によって、増やすことも減らすこともできる要因だという点が重要である。

4.4 直接因子:治療の主戦場となる部分

直接因子は、医療者の介入が必要となる部分である。身体疾患、薬剤性、手術、アルコール(離脱)などがこれにあたる。特に終末期では原因が複数絡んでいることが多く、治療が困難かどうかの見極めが不可欠である。

5. せん妄をどう見極めるか:アセスメントの実際

5.1 準備因子:ついやってしまう「間違い」を防ぐために

準備因子とは、せん妄を引き起こす素地となるものである。せん妄の人がいたら、ついつい行動を制止し、間違いを正そうとしてしまいそうになる。しかし、せん妄を引き起こしやすい素地を除去しなければ、いくらコミュニケーションをとっても、薬物治療を開始しても、せん妄の改善が目指せないこともある。

まずは、せん妄のハイリスクとなる「脳器質性疾患はないか」「認知症ではないか」「アルコール多飲はないか」などを確認していく。高齢者や終末期患者は、何らかの準備因子を持ち合わせていることが多い。準備因子となりうるハイリスク項目をいかに早くキャッチし、チームで共有できるかが、予防対策のポイントである。本人だけでなく、家族からも情報を得ていき、せん妄のハイリスクについて共通認識を持ち、予防対策から共に考えていくことが望ましい。

5.2 促進因子:日々のケアの中に潜む、改善の糸口

促進因子とは、せん妄を誘発しやすく、悪化や遷延化につながる要因のことである。例えば、不眠、疼痛、便秘、尿閉などの身体的苦痛、入院による環境の変化、不安や抑うつなどがこれにあたる。促進因子の除去については、看護師や介護士が大きな役割を担う。

特に、入院中は、生活環境の変化、モニター音やナースコールなどの騒音刺激、チューブ類による活動性の制限などにより、不安が強くなる。また、カレンダーや時計など、時間的感覚がつかめず、見当識障害を引き起こすこともある。意外と多いのが、もともと使用していた補聴器や眼鏡、義歯などの生活必需品が、生活環境の変化によって使用できていないことがコミュニケーションの妨げとなり、感覚遮断・見当識障害・不安増強を引き起こしているケースである。普段身につけているものが使えないという、一見些細に思える出来事が、実はせん妄の引き金になりうるという指摘は、見落とされがちだが重要な視点である。

また、忘れてはならないのが、身体拘束がもたらすせん妄の悪化・遷延化である。身体拘束は、強い促進因子としてはたらき、身体拘束がない場合と比べてせん妄の発症リスクが約2.9倍高くなるという報告がある。身体拘束とは、抑制帯やミトンなどの直接身体の活動性を妨げるものだけでなく、対象者の荷重がかかると作動するマットセンサーや、対象者がある一定範囲動くと作動するクリップセンサーも含まれる。本人を危険から守るための措置のはずが、かえってせん妄を助長させてしまうという、ケアの難しいジレンマがここに潜んでいる。

不快症状がないか確認する、ゆったりとした態度でコミュニケーションをとる、落ち着いて療養できる環境を整える、など基本的なケアを確実に行うことが促進因子へのアプローチとなる。具体的な非薬物療法としては、昼夜のメリハリをつけつつ夜間は真っ暗にせず薄明かりにするといった照明の調整、生活リズムを整えること、排尿・排便・口渇などの基本的ニードの充足、痛みや発熱など身体的苦痛の確認、眼鏡・補聴器の使用、時計やカレンダー、日時や場所を意識した声掛けによる見当識への支援、家族の面会や自宅で使用していたものを持参する・写真を飾る・普段着ている寝衣を着るといったなじみのある環境づくり、活動の妨げにならないか・触りやすい固定になっていないか・活動する時間帯の点滴は避けるといったルート類の管理、簡潔な説明・温かく親切な態度・話を否定しないという落ち着いたコミュニケーション、そして障害物や危険物の除去・介護者が見守りやすい部屋にするといった部屋の安全確保が挙げられる。

5.3 直接因子:治療困難かどうかの見極めが命綱になる

直接因子とは、せん妄の直接的な引き金となる要因のことである。身体疾患、薬剤、手術、アルコール離脱などがこれにあたる。終末期患者は、身体疾患により、低酸素や代謝異常、電解質異常などを起こしやすい。また、感染、脱水などのリスクも高い。直接因子が複数あり、例えば悪性腫瘍の治療は困難であったとしても、感染症の治療や薬剤変更でせん妄が改善することもある。せん妄の直接因子となりやすい薬剤(オピオイド、ベンゾジアゼピン系薬、ステロイド、ヒスタミンH2受容体拮抗薬、抗痙攣薬、抗コリン薬、抗ヒスタミン薬)を知っておくことは、直接因子のアセスメントに有効である。

直接要因と考えられる因子を丁寧に抽出し、改善が見込めるものについては対策を講じることで、改善が可能なせん妄を見逃さないようにしていかなければならない。

5.4 一気に複数へ介入しない、という戦略的な判断

せん妄は、1つの因子が関与しているだけではなく、複数の因子が絡み合ってせん妄を引き起こしていることが多い。考えられる複数の因子に対し一気にアプローチを行うと、せん妄の改善があったときにどのアプローチが有効であったのか評価ができないため、せん妄の因子となっている可能性が高いものから介入していく。この「一つずつ検証する」という姿勢は、効果測定の精度を保ちながら改善を積み重ねていくための、地道だが重要な方法論である。

6. 薬でせん妄に向き合う

6.1 「治す」場合と「和らげる」場合、2つのゴール

せん妄の治療は、原因により、回復を目標とする場合(可逆性せん妄)と、せん妄による苦痛の緩和を目標とする場合(不可逆性せん妄)とがある。この2つは、目指すゴールそのものが異なるため、治療方針も大きく変わってくる。

可逆性せん妄の主な原因は、脱水、高カルシウム血症、感染症、薬剤性などであり、治療効果が高く、直接因子へ積極的に介入し、せん妄からの回復と生活リズムの補正、見当識障害の回復、家族のケアを目標とする。使用される主な薬剤には、トラゾドン、クエチアピン、リスペリドン、オランザピン、ペロスピロン、ハロペリドールなどがある。

不可逆性せん妄の主な原因は、肝不全・腎不全などの臓器不全の進行や低酸素血症であり、治療効果は低く、直接因子への介入は部分的に行うにとどまる。治療目標は、せん妄による苦痛症状を部分的に緩和することであり、ケア目標は、患者の安全確保、不穏症状の緩和、睡眠確保、家族のケアとなる。使用される主な薬剤には、ハロペリドール(必要時ベンゾジアゼピン系薬剤併用)、フルニトラゼパム、ミダゾラムなどがあるが、フルニトラゼパムやミダゾラムは呼吸抑制をきたす可能性があるため、十分に注意する必要がある。

6.2 可逆性せん妄への薬物治療:原因を取り除き、薬を減らす

可逆性せん妄の場合、直接因子への介入として、身体疾患があればその治療を行い、原因となる薬物が想定できればその薬物を減量・中止し、せん妄の変化を日々評価する。終末期患者の場合、脱水・高カルシウム血症・感染症などが直接因子となっていることもあり、それぞれの状態に応じた治療が必要となる。

せん妄の薬物療法では、主に抗精神病薬が用いられる。薬剤には、内服薬・坐薬・注射薬など様々な投与経路があるが、内服が可能な場合は、内服での調整を優先する。せん妄では、夜間の不眠はハイリスク要因となるため、夜間入眠できる環境を整えることが重要となる。その際に、不眠の治療薬として、ベンゾジアゼピン系薬を処方されることがあるが、ベンゾジアゼピン系薬はせん妄を発症するリスクが高いため、使用は控えることが望ましい。

代表的な薬剤の特徴として、トラゾドン(デジレル、レスリンなど)は鎮静効果(+)で短半減期を持つが、興奮が強いせん妄には不向きとされる。クエチアピン(セロクエルなど)は鎮静効果(++)で短半減期、パーキンソン症状が少ない一方、糖尿病には禁忌である。リスペリドン(リスパダールなど)は抗幻覚・妄想効果があり、液剤は口腔内で一部吸収され効果発現が早いが、腎機能が悪い場合は効果が遷延する。注射薬として使われるハロペリドール(セレネース、リントンなど)は抗幻覚・妄想効果があり、経静脈投与は副作用が少ないとされるが、パーキンソン病には禁忌である。それぞれの薬剤の特徴を知るとともに、副作用についても観察していくことが肝要である。

6.3 不可逆性せん妄への薬物治療:苦痛を和らげることに徹する

せん妄の直接因子が、治療困難な悪性腫瘍・肝不全・腎不全などの臓器不全や、低酸素血症などと考えられる場合、せん妄の根本的な治療は難しくなる。この場合、不可逆性せん妄と診断される。不可逆性せん妄では、せん妄によって生じる苦痛の除去を治療の目標としていく。

例えば、労作により呼吸困難が増強する患者がせん妄により過活動になっている場合、室内環境の調整、移乗介助、酸素投与、休息のタイミングを作る、必要に応じて抗精神薬や医療用麻薬などの薬剤調整により苦痛軽減に努める。過活動により呼吸困難が増強し、それによってせん妄も増強されるという負のスパイラルを少しでも断ち切る方法をチーム全体で考えることが重要である。

また、患者の安全確保も重要である。点滴ルートや点滴時間の工夫、障害物を除去し転倒転落予防に努める。はさみやナイフなどの危険物は除去する、離床する危険性がある場合には離床センサーを使用するなど、患者の安全を守るための対策を講じる。

苦痛を除去し、安全かつ穏やかに過ごせる環境を整えることで、一時的にせん妄の重症度が下がることもあるため、不可逆性せん妄であってもせん妄改善に向け、積極的に介入することが重要である。この姿勢は、本稿の冒頭でも触れた「終末期だからといって、せん妄への介入をあきらめない」という考え方の、具体的な実践の形だと言える。

7. 家族へのケアという、もう一つの重要な柱

7.1 せん妄が、家族の心に与える衝撃

せん妄ケアにおいては、本人へのケアと同じくらい家族ケアが必要となる。せん妄になった患者を目の当たりにした家族は、「いつもと様子が違う」「話が通じない」「人が変わったみたいだ」とショックを受けることが多い。いつも穏やかだった人が怒りっぽくなる、何がしたいのかわからないがとにかくじっとしていられない、そんな患者をみている家族の多くはどう接したらいいのかわからず困惑してしまう。そのため、コミュニケーションをとることが困難となり、患者と家族の間に距離ができてしまうこともある。

7.2 家族それぞれの、せん妄への向き合い方

ただ、家族によってせん妄の捉え方はそれぞれである。「そろそろお迎えが来るのかな」、「(すでに亡くなった)誰かが会いに来ているのかな」と考える家族もいる。また、医療者・介護職者にはわからなくても、家族にとっては意味のある言葉を患者が話していることもある。

ある男性は、亡くなる数日前よりせん妄が出現し会話が成立しにくくなった。その男性が「赤ちゃんの名前は決まったか」と突然家族に尋ねた。その家族には、名前を付けなければいけない赤ちゃんはその時存在しなかった。家族が話をきいていくと、男性の記憶は現在小学生の孫が生まれる前に戻っていた。当時、その男性は、生まれてくる孫の名前をとても楽しみにされていたそうで、孫との時間をとても大切にして過ごされてきた。男性の家族は、「もう決めましたよ。○○です」と伝えると「いい名前だなあ」と言って嬉しそうに微笑んだ。家族もそれをみて、「孫のことを最後まで想っているところがお父さんらしいね」と微笑んだ。

このように、患者自身や家族にとっては意味のあるメッセージを発していることも少なくない。医療者や介護職者は、「つじつまが合わない言葉」「幻覚である」と決めつけるのではなく、せん妄の中にもその人が生きてきたヒストリーが反映されている可能性があることを忘れてはいけない。せん妄の時の言動からその人の生きてきた過程を共に振り返ることは、せん妄が家族にとって単に「つらい体験」として終わるのではなく、共に過ごした時間を振り返る「お別れに向けた準備期間」となり得ることを心に留めておきたい。こうしてせん妄ケアから予期悲嘆のケアにつなげることができる。

せん妄は、家族にとっても、医療者や介護職者にとっても、身体的・精神的負担が大きいことは否めない。だからこそ、お互いに状況の確認をし合い、共に評価し、ケアの目標を共有していくことで医療者・介護職者・家族が孤独にならないようコミュニケーションをとり続けることが重要である。

8. 介護者ができる家族ケアの実際

8.1 家族が抱える不安に、まず寄り添う

多くの場合、家族にとってせん妄状態の患者をみることは初めてである。家族は、「入院をしてからおかしくなったのではないか」、「薬のせいではないか」、「認知症になってしまったのではないか」、「看護師さんに迷惑を掛けているのではないか」など様々な不安を感じる。時には、指示が入らない患者に対して怒りの感情を覚えることもある。

「いつから会話がかみ合わなくなったと感じていますか」、「普段はどのようなお人柄ですか」、「いつもと違うお姿なのですね。ご家族からみてつらく感じることはありますか」と声を掛け、家族がせん妄をどう感じているのか確認していく。そして、家族がつらく感じることは当然の感情であることを認め、家族の気持ちを受け止める。

8.2 せん妄患者と、どう言葉を交わせばよいか

せん妄状態の患者へのコミュニケーションで注意が必要なことは、刺激を与えないということである。せん妄患者に対応する際には、介護者自身が落ち着いた態度で向き合うことが重要である。その患者がどのような「体験」をしており、何を「不安」「心配」に感じているのかをイメージするとよい。幻覚や幻視の際には肯定も否定もせず、「私にはみえないですが、あなたにはみえているのですね」といった対応をする。時には、話を合わせて患者が安心できるようなコミュニケーションも必要である。家族や医療者が、いらいらした態度やこわばった表情、大声や命令口調で話すなどの行動をとると、せん妄患者の不安は増強し、せん妄を助長させる恐れがある。目線を合わせ、必要なことはゆっくりと丁寧に説明し、声のトーンや表情を穏やかにする、家族であればタッチングが有効であることも多い。

体の不具合や口渇、尿意などがうまく伝えられないためにせん妄を助長させている場合もあるため、適宜、患者に確認をするとよい。

8.3 せん妄という病状そのものを、家族に正しく伝える

家族の中には、せん妄という症状について知らない人も多い。せん妄についてなぜ発症したのか、どのような状態なのか、今後どうなっていくと考えられるのか、繰り返し話し合う必要がある。「多くの終末期の患者様にみられる症状です」、「せん妄は本人の意思ではなく、病気による症状の一つです」、「病状の進行により意識に障害が生じ、脳にも影響がでるため生じます」、「時間や場所の勘違いがみられることがよくあります」などのように、あくまでも病状による症状の1つであること、多くの患者にみられる症状であることを伝える。

8.4 これからをどう過ごすか、見通しを伝える

一人一人、せん妄を起こしている原因は異なるため、医療者より病状についての説明を行う。看取りが日〜週単位と予測される中で発症するせん妄も非常に多い。その場合にはご家族に、病状、予後などを適宜説明し、せん妄による苦痛を緩和していくこと、徐々に意識レベルも低下していくことが考えられることなどを伝える。また、せん妄は時間や日によって変動するため、せん妄が落ち着いている時間を大切にしていただきたいことを伝える。

8.5 薬を使うときこそ、丁寧な説明が要る

終末期においては、肝不全や腎不全、呼吸不全などの直接因子が影響してせん妄を引き起こしている場合が多く、不可逆性である場合が多い。不可逆性である場合は、夜間の不眠や不穏状態、患者の身体的苦痛に視点を置き、患者や家族のQOLを重要視した治療目標に変更する。その際、抗精神薬、睡眠薬、医療用麻薬などの使用が必要となる場合もある。

家族の中には、このような薬剤の使用に関して不安を抱く人もいる。家族の気持ちに配慮しながら、せん妄の原因と治療目標を考えていくことが大切である。せん妄症状を完全に取り除くことを目標に薬物療法を行うと、鎮静作用が前面に出てしまう場合が多い。「夜間の不穏が軽減して入眠することができる」、「せん妄による過活動が減り、ベッドで休むことができる」など医療者と家族で、患者にどのような状態で過ごしてほしいのかを話し合い共に評価できる治療目標を設定していく。薬剤使用に関しては、呼吸抑制や過鎮静などのリスクを伴うことが多く、終末期ではすでに全身状態がかなり悪化しているケースが多い。薬剤の期待される効果や副作用についても家族にきちんと伝えたうえで対策を検討していくことが望ましい。

9. 付き添いという依頼に、どう向き合うか

9.1 「付き添ってほしい」という依頼の、本当の意味

病院などでせん妄の患者の家族に面会や付き添いを依頼することがある。その目的は、患者の不安を軽減し安心できる環境を整えることである。家族への付き添い依頼で多いケースは、夜間の不穏・不眠が著しく、看護師が対応に困るケースではないだろうか。もちろん、せん妄患者にとって夜間家族がいつもそばにいてくれることは精神的安定をもたらす。

9.2 「迷惑をかけている」という罪悪感を生まないために

しかし、対応に困ることを理由にして付き添いを依頼されると、家族は「付き添いを強要された」という不信感や、「病院に迷惑を掛けている」という後ろめたい気持ちを抱えてしまう。付き添いを依頼する理由は患者のせん妄ケアの1つであることを丁寧に伝える必要がある。この一言の違いが、家族の心理的な負担を大きく左右する。

9.3 付き添う家族自身も、ケアの対象である

また、付き添っている間も、ご家族とせん妄の状態を共有し、ご家族の体調に配慮することを忘れてはいけない。ご家族が休める時間をとれるよう声をかけることも家族ケアの一つである。家族もチームの一員であるという意識をもって家族とも向き合っていくことが大切だと考える。

10. まとめ:揺らぐ意識の奥にある、「その人」を見失わないために

せん妄は、準備因子・促進因子・直接因子という3つの異なる性質を持つ要因が複雑に絡み合って生まれる、きわめて多面的な症状である。終末期のがん患者の約7割が経験するというその頻度の高さにもかかわらず、低活動型のように見過ごされやすいタイプがあることや、「終末期だから仕方ない」という諦めの空気によって、積極的な介入の機会が失われがちな症状でもある。

しかし本稿で見てきたように、せん妄は原因によっては改善が見込める可逆性のものもあれば、根本治療は難しくとも苦痛の緩和によって状態を和らげられる不可逆性のものもある。どちらの場合も、「仕方がない」とあきらめず、原因を丁寧に見極め、できることから介入していく姿勢が求められる。

そして何より忘れてはならないのが、せん妄という現象の奥には、最後まで「その人」が生きてきた歴史が息づいているという視点である。亡くなる数日前に孫の名前を気にかけた男性のエピソードが教えてくれるように、つじつまの合わない言葉の中にこそ、その人がどう生きてきたかが映し出されていることがある。せん妄ケアとは、症状を薬で抑え込む作業であると同時に、本人と家族が、残された時間の中で「その人らしさ」を見失わずに過ごせるよう支える、きわめて人間的な営みなのである。