最期の時間に、何ができるか――看取りケアの実際

「看取り」という言葉は、日本独自の文化や歴史の中で生まれた言葉である。もともとは、病人の世話をすることや看病をすることを「看取り」と言っていたが、現在は「臨死期における看取り」そのものを「看取り」と表している。高齢化による多死社会へ突入することにより、病院や施設などで働く医療・介護従事者は看取りに立ち会うことが多くなる。しかし、人を看取る医療・介護従事者も「どう声をかければいいのかわからない」「自分に何ができるだろうか」と日々のケアに悩んでいることも多い。また、ご家族自身にも看取りの経験が少なく、初めての体験であることから今後の変化や過程がわからず、不安を抱くことが多い。本稿では、看取り期にみられる変化や徴候、そして本人・家族双方に向けた具体的なケアの実際を見ていく。

Contents

1. 死へと向かう道筋は、病によって異なる

1.1 3つの異なる経過のパターン

人が死に至るまでの経過は、基礎疾患によって3つのタイプに分類される。この違いを知っておくことは、死の床にある患者や家族をサポートするうえで大きな助けとなる。

がんの場合は、比較的長い期間、機能が保たれ、最後の約2か月で急速に機能が低下する経過をたどる。亡くなる2〜3か月前までは大きな障害がなく日常生活を送ることができるが、亡くなる1〜2か月前から急激にADLが低下し、日常生活に大きな支障をきたすことが多くなる。さらにその頃から、今までになかった倦怠感や食欲低下、眠気などが現れることが多くなり、「急に悪くなった」と話されるご家族も多い。

心・肺疾患末期の場合は、急性増悪を繰り返しながら、徐々に機能低下し、最後は比較的急な経過をたどる。入退院を繰り返しながら、階段を下りるように機能が落ちていくという、がんとはまったく異なる軌跡である。

認知症・老衰などの場合は、機能が低下した状態が長く続き、さらにゆっくりと機能が低下していく経過をたどる。3つの経過の中で最も緩やかで、予測が最も難しいタイプだと言える。

1.2 経過の違いを知ることの意味

この3つのパターンを理解しておくことは、単なる知識にとどまらない。がんの家族が「急に悪くなった」と感じるのは、実際に機能低下がその時期に集中して起こるからであり、決して見落としや対応の遅れによるものではない。こうした経過の特性を前もって家族に伝えておけることは、不安を和らげるための、具体的で実践的な情報になる。

2. 死が近づくと、体に何が起こるのか

2.1 1〜2週間前頃にみられる変化

眠っている時間が多くなり、食事や水分摂取が減少する。また、筋力低下が著明となり、ベッド上で過ごす時間が主となりADLが低下する。この段階では、まだ会話や意思疎通は可能であることが多く、本人と家族がこれからのことを話し合える、貴重な時間でもある。

2.2 数日〜数時間前にみられる、7つの変化

2013年に行われた調査結果では、亡くなる数日〜数時間前に出現する徴候が、7つのカテゴリーに分類された。

①呼吸の変化:臨床においてチェーン・ストークス呼吸は多くの死亡直前の患者にみられる。また咽頭部でゴロゴロと音を立てながら呼吸をする死前喘鳴も多くの患者にみられる。さらに呼吸とともに下顎が動く下顎呼吸へと変化する。下顎呼吸に移行すると、死亡まで時間単位であるという兆候であるため、「状態がさらに変化しており、お別れの時間が近づいていること」を家族に説明する。

②意識・認知機能の変化:不可逆的な低酸素血症や腎不全・肝不全などの臓器不全、電解質異常により、徐々に意識レベルが低下して昏睡状態へと至る。せん妄もこの意識障害の一種であり、死亡直前には多くの患者に出現する。家族が不安に感じている場合には、死に至るまでの自然な経過であること、ご本人は苦痛に感じていない場合が多いことを説明する。

③経口摂取の変化:水分摂取時にむせやすくなる、今まで内服できていた薬が飲み込めない、などの変化がみられる。とろみ剤を使用しても飲水が難しくなることが多い。意識レベルの低下により覚醒している時間も少なくなるため、水分摂取は難しくなる。

④皮膚の変化:四肢末端から、循環不全によって冷たくなり、色調も青っぽい色に変化する。また、顔面蒼白もみられる。チアノーゼは、主に低酸素血症が原因で出現する。皮下の血管が豊富な足先で確認できることが多く、足先の変化を観察するとよい。

⑤情動的な状態の変化:「身の置き所がない」状態となり、何度も寝返りを打つ、布団をすぐに蹴飛ばす、などじっとしていられない感じになる。医学的には、せん妄、倦怠感、不安や焦燥感、恐怖、アカシジアなどが入り混じった状態であると言われている。本シリーズで以前取り上げたせん妄の知識が、まさにこの場面で直接的に生きてくる。

⑥全身状態の悪化:身体機能や臓器不全など不可逆性の状態悪化も徴候の1つである。

⑦医療・介護従事者の直感:臨床では「なんだか数日前とは様子が違う」などの医療者の直感が働く場合がある。例えば、羸痩(るいそう:脂肪の減少が著しく高度な痩せのこと)の進行にともない鼻が尖ってみえるためいつもと印象が違ってみえたり、会話の内容やテンポ、表情などに違和感を感じたりする。普段から日常生活をサポートしている看護師や介護職員のこのような「なにか違う」という直感も軽視することはできない。介護者やその他の職種であっても対象者の些細な変化を感じる力、その事実を他職種に伝えるチーム力は非常に重要であると言える。

本シリーズで以前、二重過程理論を扱った際に触れた「熟達した直感」というテーマが、ここで看取りの現場における、きわめて実践的な形で姿を現している。数値化できないこの「なにか違う」という感覚を、チームでどう共有し、どう活かすかが問われている。

3. バイタル測定が持つ、数値以上の意味

3.1 数値だけでは死期を予測できない

病院で最期の時間を過ごす場合、定期的にバイタルサインを測定することが多い。ある調査では、亡くなる前日まで血圧や脈拍に変化がみられない患者が多く、それだけで死亡時期を予測することは難しいことがわかっている。看取り期では、バイタルサインの数値そのものではなく、その意味について考える必要がある。治療中の患者では、バイタルサインを測り、変化があれば医師の指示の下、対策を講じる場合もある。しかし、看取り期では、多くの患者に、血圧の低下・脈拍の増加・酸素飽和度の低下・体温の上昇が現れるが、バイタルサインの変化は自然な過程の一つであり、値よりも患者にとって苦痛かどうかを考えることが重要である。

3.2 測定の頻度が変わることの、重い意味

看取り期のバイタル測定において大切なことは、数値の変化を重要視することではなく、「患者や家族にとってバイタルサインの持つ意味」を医療者が理解することである。ある緩和ケア病棟では通常1日1回バイタル測定をしていたが、それまで一般病棟で1日3回測定していたある患者は、バイタル測定が減ることにショックを受けていた。話を伺うと、「死ぬのを待つだけだから何度も測る必要はないと言われたように感じた」「突き放された感じがした」と言われた。また逆に、「特に体調が悪いわけでもないのに1日に何度も測りに来られていた。これからは自分の時間を自分のペースで過ごしたいので必要最低限でいい」と話される方もいた。

このように、バイタル測定の捉え方は一人一人違う。測定することで「自分は診てもらえている」という安心感につながる人もあれば、自分の時間を有意義に過ごすために必要ない、と考える人もいる。

3.3 測定頻度の変化が、コミュニケーションになる

また、家族によっては、バイタル測定を通して医療者とコミュニケーションがとれるため、それが安心につながる場合もある。その場合も、家族がバイタルサインの値に過度に捉われることなく、患者の些細な変化から自分たちで苦痛や思いを感じとることができるよう支援する。

こうして患者や家族にとっての「バイタル測定の意味」を知ることは、その患者や家族が大切にしている価値観やニーズを知る手掛かりになる。看取り期のケアにおいて、医療者にはこの視点を忘れないでいただきたい。測定という、一見すると機械的な医療行為の中にさえ、その人固有の価値観が映し出されているのである。

4. 臨死期のケアの実際:何をどう伝えるか

4.1 状態を正確に伝えるという、難しい役割

徐々に状態が悪くなる患者をみていると、家族は「これからどうなるのだろう」「あとどれくらい一緒にいられるだろう」「苦しみが出てくるのだろうか」など様々な不安を感じる。家族にとってだけではなく、医療者にとっても状態の悪化や予後の見通しなどバッドニュースを伝えることは非常につらいことである。

遺族から「悪いとはわかっていたけれどこんなに早いとは思わなかった」という言葉をきいたことはないだろうか。医療者は十分に説明をしたと思っていても、医療者の見立てと家族の認識がずれていると、家族にとっては予想していないお別れとなってしまうことがあり、家族のグリーフに大きな影響を及ぼす可能性がある。医療者が、患者の状態・予後の見通しについて家族と情報共有をすることで、家族は患者の状況を理解し、落ち着いて見守ることができる。そして、残りの時間をどう過ごしたいかを一緒に考えられるようになり、少しずつお別れに向けて気持ちの準備をしていくことができる。

前章のグリーフケアで扱った「予期悲嘆」が、ここで臨死期の説明という、きわめて具体的な実践の文脈とつながってくる。正確な情報共有が、死別後のグリーフの質そのものを左右しうるという事実は、看取りケアにおける説明という行為の重みを物語っている。

4.2 お別れが近いときの、具体的な言葉かけ

ただし、臨死期での家族への説明は、バッドニュースが多くなる。そのため家族は医療者から声を掛けられると緊張したり、悪い話の連続に疲弊したりすることも少なくない。この時期には家族に現状を理解させようとするのではなく、家族が何を聞きたいと思い、何を聞きたくないのか、患者や家族のニーズを明確にするケア介入が重要である。そのうえでどのように伝えていくのか、チームで検討していく。

具体的な説明の例としては、「血圧や酸素飽和度は、心臓の力が弱くなっているためうまく測れなくなっています」「数字に表れる変化よりも、今は体に起こる変化をみていくことが大切です。一緒に変化をみていきましょう」「手や足の色が変わるのは、心臓の力が弱まっていることを表します」「顎を動かしながらの呼吸に変わったので、お別れが今日中となる可能性が高いと思います。ご本人は眠っておられるため苦痛はさほど感じておられません」「ご家族からみて苦しそうにみえますか」「ご家族はどなたかを看取った経験がありますか」「今はお話ができますが、お話ができなくなる時が近づいていると思われます」「どなたか会わせたい方はおられますか」「付き添いのご希望はありますか」といったものが挙げられる。

4.3 看取りのパンフレットという、心強い補助ツール

終末期に予測される経過を実際の患者のデータに基づいて説明する「看取りのパンフレット」がある。ある遺族調査では、遺族の81%がこのパンフレットについて「とても役に立った」「役に立った」と回答している。このパンフレットには、亡くなる1週間前頃からの経過がイラストや分かりやすい言葉で記載されている。

お別れが近いことを医療者から説明を受けたとき、家族は非常につらい気持ちとなり、説明が十分に理解できない場合もある。パンフレットがあることで、家族があとで読み返すことができ、説明に同席できなかった他の家族にも説明をすることが可能となる。あくまでも、このパンフレットは医療者からの口頭説明の補助的な立ち位置である。よって、パンフレットを渡すだけではなく、補助ツールとして用いることで家族の理解を促し、家族の気持ちに寄り添うことがこのパンフレットを使用する意義である。

一度の口頭説明だけでは理解しきれないほどの衝撃を受けている家族にとって、「後で読み返せる」という安心感そのものが、ケアの一部になっているという点は興味深い。

5. 日常のケアこそ、心を込めて

5.1 身なりを整えることの、大きな意味

臨死期のケアにおいては、日常のケアを丁寧に行うことが大切である。お別れが近くなると、家族の付き添い時間や、親族・友人などの面会が増える場合がある。面会者が最後にみる患者の姿となるので、身なりを整え、清潔を保持することは大切なケアである。病衣やシーツが清潔であるか、口腔内は清潔か、ひげが伸びたままになっていないか、髪の毛は整えられているか、確認していく。また、乾燥しやすい口唇、口腔、および皮膚を保湿することで、本人の不快を改善するとともに、「見た目が潤う」ことで本来のその人らしい姿に近づけることができる。

5.2 臨死期特有の臭いへの対策

臨死期には、排泄臭・口臭・体臭(入浴ができていない場合)・創傷臭などの特有の臭いを引き起こす場合がある。臭いは家族にとっては大きな苦痛につながることが多い。室内の清掃・部屋の換気・定期的なオムツ交換・口腔ケア・清拭・消臭剤・空気清浄機などを使用して臭い対策を行う。緩和ケア病棟では、アロマオイルを使用して消臭対策を行うことも多い。

5.3 体位変換という、繊細なバランス

自力での体位変換が困難になった場合には、褥瘡予防のために体位変換を定期的に行う。本人に適したベッドやマットレスの選択はもちろんだが、疼痛や呼吸困難などがある場合、体位変換そのものに苦痛を伴う。その場合は、無理をして体位変換を行うよりも、定期的な除圧や、マッサージなどが安楽につながることもある。その際も、表情や体の動きをみながら苦痛がないか確認しながら行う。

本シリーズで以前扱った浮腫のケアにおける体位変換の考え方(ターミナル後期は負担の少ないスモールチェンジで対応する)と、まさに同じ思想がここにも流れている。

5.4 意識がなくても、声を掛け続ける

聴覚と触覚は最後まで残る感覚だと言われている。たとえ意識レベルが低下し、昏睡状態であっても、「今からお顔を拭きますね」「奥様が来られましたよ」と患者に声を掛けることを忘れてはならない。また、家族にとっても、本人にしっかりと声掛けをしてケアをしてもらえることは「大切にしてもらっている」と感じることができ、悲嘆ケアにもつながる。最期まで尊厳をもった人として尊重することが大切である。

5.5 家族にできるケアを、具体的に伝える

家族は、意識レベルが低下している患者を前にすると、「もう私たちには何もできない」、「病院の方に任せよう」という思いを抱くことが多い。家族によっては、「勝手に何かをしてはいけない」と考え、患者との距離をとってしまうこともある。特に、久しぶりに会った遠方の家族は、状態の変化に困惑し、どうしたらいいのかわからない状況となる。本人の今までの生活や体調の変化について家族と共有することは、家族の困惑や疎外感を軽減することにつながる。

医療・介護従事者がフォローすることで、手足のマッサージ、洗面や口腔ケア、保湿など、家族ができるケアはたくさんある。また、本人の好きな音楽をかける、好きなテレビをつける、本人の食べやすいものを用意するなど、何気ない日常を家族とともに過ごすことは、本人にとって大きな安心感につながる。

医療・介護従事者がすべてのケアを行うわけではなく、本人・家族の状況に応じて、家族もケアに参加できるようコーディネートすることも、家族の予期悲嘆のケアにつながる。その際には、家族が安心してケアができるよう、いつでも医療・介護従事者がサポートできることを伝えていく。また、「足をマッサージしてもらって気持ちよさそうですね」「好きなアイスを食べることができましたね」など家族によって行われたケアの意義を家族に伝えていく。

「何もできない」と感じている家族に、具体的にできることを示し、その行為の意味を言葉にして返してあげること。この一連のプロセスは、家族の無力感を、本人とのかけがえのない時間へと変えていく、重要な橋渡しの役割を果たしている。

6. 家族が寄り添える環境をつくる

6.1 物理的な環境への配慮

家族が安心して付き添える環境づくりにも配慮が必要である。可能であれば、本人が家族とゆっくりと最期の時間が過ごせるよう個室が望ましい。家族が休憩できるよう、ソファーやベッドを準備したり、臭いが気になるときには換気や空気清浄機・芳香剤などを使用したりして、家族がそばに付き添いやすい環境を整える。チューブ類も整理し、シーツや病衣も清潔なものを用い、居心地の良い空間になるよう努める。

付き添う家族が高齢であることも多いため、ごみ箱の位置・チューブ類の位置など家族の移動の妨げにならないか確認しておく。

本人の意識レベルが低下し、転倒転落の危険性がない場合には、家族がいる際にはベッド柵を外し、すぐ近くで寄り添うことができる環境を作る。空間に余裕があれば、ベッドの周囲を家族が囲めるように壁から離して配置することも有効である。

6.2 他の訪問者との兼ね合い

また、看取り前には、多くの親族や友人などが面会に来ることも多い。家族や友人らと団らんの時間をとっているときには、医療・介護従事者は必要時以外の過度な入室を控え、家族や友人との時間を確保できるよう配慮できるとよい。

6.3 付き添う家族自身への気遣い

看取り期の付き添いでは、家族は緊張状態で過ごしていることが多いため、休憩がとれているか、食事はとれているか、気になることはないか、こちらから声掛けをしていく。何かあればいつでも施設や病院のスタッフに声を掛けていいことも伝えておく。

さらに、本人の状態や、今後予測される経過について家族と共有しておくことも、家族にとっては大きな安心感になる。ここで注意しなければいけないことは、家族が「私たちが変化に気づかなければ」という責任を感じてしまうことである。これでは、家族がそばにいる意味が「患者の状態を見張る」ことになってしまいかねない。家族がいつものようにそばで見守ることが本人の安心にもつながることを伝え、サポートすることが大切である。

「状態の変化を見逃さないように」という情報共有が、善意であるにもかかわらず家族に「監視」という重荷を負わせてしまう可能性がある、というこの指摘は、極めて繊細で重要な視点である。情報を伝える目的は、家族に責任を課すためではなく、家族が穏やかにそばにいられるようにするためだという前提を、常に見失わないようにしたい。

7. 臨終後のケア

7.1 お別れの時間をとる

家族が看取りに立ち会った場合、家族が故人とお別れをする時間をとってから、医師の死亡確認を行う。医療機器やベッド柵を外し、家族が故人に触れ「ぬくもり」を感じることができる環境を作る。

また、家族がお別れの言葉や感謝の言葉などを伝えられるよう環境を整え、しばらくお別れの時間をとることを家族に伝え、退室する。「ご家族みなさんのお別れが終われば看護師をお呼びください」「少し時間をおいてからまたまいりますね」などの声掛けをして退室するとよい。家族のお別れの時間が終われば、医師の最期の診察となる死亡確認の準備をする。死亡確認に立ち会う家族は揃っているか確認し、死亡確認を行ってよいか確認し、了承を得る。

7.2 思い出を語り合う、という名のグリーフケア

死亡確認後やエンゼルケアの際に、家族とともに思い出を語り合うことは、ご家族だけでなく医療・介護従事者にとってもグリーフケアの一環となる。故人との思い出を話すことで、故人への感謝の気持ちやねぎらいの気持ちを思い出したり、亡くなったことを受け入れたりする時間になる。

7.3 代弁者となるという役割

医療・介護従事者がケアを行った際に、本人から、家族への感謝の気持ちや思い出などを話されることも多い。また、特に本人からの言葉がなかったとしても、医療・介護従事者がその思いを感じとれる場面に遭遇していることもある。「いつも娘さんが来られる時間を心待ちにされていましたよ」、「奥様には長年、苦労をかけてきたので感謝していると言われていました」など、故人の思いの代弁者となることも、医療・介護従事者にできるグリーフケアである。

代弁者となることは、臨終後に限ったケアではないが、家族と故人の思い出を語り合ううえで心に留めておいてほしいと思う。

7.4 家族が間に合わなかった場合

家族が看取りに立ち会えない場合もある。さっきまで部屋で付き添いをしていたにもかかわらず立ち会えなかった、まだ明日も会えると思っていた、仕事で付き添いができなかった、など立ち会えない事情は様々である。中には、十分覚悟ができているので立ち会わなくてもいいと考える家族もいる。

家族が看取りに立ち会えなかったことを後悔したり、責めたりしている場合には、亡くなる瞬間ではなくそれまでの時間が一番大切であること、ご家族ができることは十分にサポートしてこられたことを伝える。また、苦しむ様子はなかったことや、医療・介護従事者がそばに付き添っていたため旅立ちは一人ではなかったことを伝えると安心することもある。該当する場合には、家族にこれらの状況を伝えるといいだろう。

「看取りの瞬間に立ち会えたかどうか」よりも「それまでの時間をどう過ごせたか」に価値を置き直すこの視点は、間に合わなかったことへの後悔を抱える家族にとって、重要な救いになりうる言葉がけである。

8. 看取りに携わる者として

8.1 「自分自身を知る」ことの重要性

私たち、医療・介護従事者は、人生において大切な「看取り」の瞬間に立ち会うことが多い。いずれ別れの時が訪れると理解はしていても、家族は様々な価値観や思いの中で看取りと向き合っている。今、目の前にある本人と家族の姿だけではなく、これまで本人と家族が歩んできた生活史・家族史にも目を向けて寄り添う姿勢が大切である。

例えば、本人が家に帰りたいと望んでも家族は全く協力的でない、あるいは、本人が配偶者に対しいつも高圧的な態度をとっている、などの場面では専門職者であっても負の感情を抱えることが多い。負の感情が生まれること自体は人として自然なことであり、悪いことではない。しかし、専門職としてケアをするには、この「自分の中に生まれた負の感情」と向き合わなければいけない。なぜ自分の中にそのような感情が生まれているのかを自問自答していく。自分の価値観や思考のパターン、行動パターン、性分などから自分自身を知ることで、自分と他人との違いを理解することができる。目の前にいる本人と家族を支えるためには、何を大切に生きてこられたのか、どんな家族関係なのか、これからどう過ごしていきたいのかを知り、それを受け入れることからケアがスタートする。そのためには、看取りに携わる者として、「ケアをする人が自分自身を知る」ことがとても重要であると言える。

前章のスピリチュアルケアで扱った「ケアする人のケア」というテーマ、すなわち自分自身の傾向や心身のコンディションに目を向けるという視点が、ここで看取りという最も緊張を強いられる場面において、より具体的な形で求められている。負の感情を抱くこと自体を否定するのではなく、それを自己理解の糸口として扱うという姿勢は、専門職として長く看取りに携わり続けるための、実践的な知恵だと言える。

8.2 看取りケアが、自分自身にもたらすもの

看取りに携わる専門職として知識やスキルを磨くことは不可欠であるが、「看取りケアを通して自分自身も成長していく」という意識を持つことも大切である。看取りケアは、私たちが生きていく糧となること、看取りという貴重な場面に関わらせていただいていることを忘れないようにしたい。

9. まとめ:最期の時間を、ともに生きるということ

看取りケアとは、死という避けられない出来事を前に、本人の身体に起こる変化を正確に理解し、その意味を家族にわかりやすく伝え、そして何より、残された時間を本人らしく、家族とともに過ごせるよう支える、きわめて総合的な営みである。チェーン・ストークス呼吸や下顎呼吸といった身体的な徴候を見極める知識と、バイタル測定という行為一つが持つ個別の意味を汲み取る繊細さ、そして「何もできない」と感じる家族に具体的にできることを手渡す温かさ。これらすべてが、最期の時間の質を形づくっていく。

痛み、呼吸困難、消化器症状、全身倦怠感、せん妄、不眠と抑うつ、意思決定支援、家族ケア、スピリチュアルケア、グリーフケアという、それぞれ異なる角度から光を当ててきた知識と視点は、すべてこの看取りという最終局面において、一つに収斂していく。そして看取りに携わる者自身もまた、この経験を通じて何かを受け取り、成長していく存在である。目の前の人の人生の最期に立ち会わせていただいているという、その重みと恵みの両方を忘れずにいることこそが、看取りケアに携わるすべての人に求められる、変わらない姿勢なのだろう。