眠れない夜と、晴れない心に――不眠と抑うつ状態、2つの見えない苦しみへのケア
終末期を生きる人にとって、夜は必ずしも安らぎの時間ではない。痛みで目が覚める、将来への不安で寝つけない、気づけば朝まで天井を見つめている——そんな夜を重ねるうちに、心もまた静かに沈んでいくことがある。不眠と抑うつ状態は、別々の症状でありながら、互いに影響し合いながら本人のQOLを蝕んでいく。本稿では、この2つの見えにくい苦しみについて、その仕組みと向き合い方を整理する。
1. 眠るという営みの、精巧な仕組み
1.1 睡眠は「休むこと」以上の意味を持つ
睡眠とは、覚醒水準の低下を特徴とする生理学的現象である。しかしその役割は、単に体を休めることにとどまらない。身体的・精神的な状態の回復、記憶の強化、脳の成長、内分泌的な日内変動の維持、免疫機構の維持、細胞の修復など、実にさまざまな意義を担っている。眠るという行為は、起きている間に働き続けた体と脳を、丸ごとメンテナンスする時間なのである。
1.2 2つの仕組みが織りなす、シーソーのようなバランス
睡眠は、「恒常性維持機構」と「体内時計機構」という2つの仕組みによって調整されている。恒常性維持機構はホメオスタシスとも呼ばれ、自律神経系、免疫系、内分泌系などの神経系が、人の体を健康で最適な状態に保とうと働いている仕組みである。体内時計機構は、概日リズム(サーカディアンリズム)を形成するための約24時間周期のリズム信号を発振する機構で、脳内の視床下部にある視交叉上核に存在し、光によって影響を受けている。
睡眠は、この2つのメカニズムによって制御を受け、睡眠と覚醒はシーソーのようにバランスをとっている。そのため、何らかの影響でこのバランスが崩れてしまった場合に、睡眠の問題が生じる。「眠くなる力」と「目覚めていようとする力」が綱引きをしていて、その均衡が乱れたときに、不眠という形で表に現れてくるとイメージするとわかりやすい。
1.3 眠りの中身にも、設計図がある
ほとんどの人は、ほぼ同じ時刻に決まった時刻に眠気が訪れ、眠りに入り、7〜8時間ほどで自然に目が覚めるという睡眠リズムを持っている。睡眠は深いノンレム睡眠から始まり、睡眠欲求が低下する朝方に向けて徐々に浅いノンレム睡眠が増え、その間に約90分間隔でレム睡眠が繰り返し出現し、睡眠後半に向けて徐々に1回ごとのレム睡眠時間が増加していく。
ノンレム睡眠は、脳を休める深い眠りで、睡眠の深さによって4段階に分けられる。特に入眠後3時間のノンレム睡眠の間に、成長ホルモンの分泌が活発になる。レム睡眠は体の緊張は低下しているが、脳は働いている浅い眠りで、急速眼球運動がみられる。
年齢とともに、ノンレム睡眠が減少し、レム睡眠・ノンレム睡眠のサイクルが不安定となる。また、中途覚醒の時間も増加していく。このように、高齢になるにつれて睡眠の質そのものが変化していくことは、終末期ケアを考えるうえで押さえておきたい前提である。
1.4 眠りは、人間の三大欲求の一つ
睡眠は、食欲、性欲と並ぶ人間の三大欲求の一つとされている。終末期の患者は、病状の進行に伴い、食欲が低下し食事を楽しむことも難しくなっていく。良好な睡眠がとれることは、終末期の患者にとって、欲求が満たされる重要な時間となる。食べる喜びが失われていく中で、眠るという行為がどれほど貴重な「満たされる時間」になるか、この一文は静かに物語っている。
2. 不眠とは何か、どこから「症状」と呼べるのか
2.1 不眠の4つのタイプ
不眠は、入眠困難(寝つきが悪い)、中途覚醒(夜中に目が覚める)、早期覚醒(朝早くに目が覚める)、熟睡障害(満足感がない)に分けられる。同じ「眠れない」という訴えでも、その中身は人によって大きく異なるという点が、ケアを考えるうえでの出発点になる。
2.2 「不眠症」と診断される条件
不眠症とは、これらの睡眠問題が1か月以上つづき、日中に倦怠感・意欲低下・集中力低下・食欲低下などの不調が出現している状態をいう。「長期間にわたり夜間の不眠が続き」「日中に精神や身体の不調を自覚して生活に支障をきたす」、この2つに当てはまる場合に不眠症と診断される。
不眠症は、様々な原因によって引き起こされ、それぞれの原因に合わせた対処を行うことが必要である。また、不眠が続くことで、眠ることに対する執着や緊張、こだわりのため、さらに不眠が悪化するという悪循環に陥ることがある。「今夜も眠れなかったらどうしよう」という不安そのものが、次の夜の不眠を呼び込んでしまう——この悪循環こそが、不眠という症状の扱いを難しくしている根本的な構造である。
睡眠障害の有病率は20%前後と言われており、がん患者にはその30〜50%と頻繁に不眠がみられる。また、痛みを有するがん患者では50%以上に不眠がみられるとも言われている。痛みと不眠が、互いに影響し合う密接な関係にあることがうかがえる。
3. 不眠の原因を5つの切り口で捉える:5つのPという考え方
3.1 なぜ「5つのP」という整理が役立つのか
がん患者にとって睡眠障害は珍しくない症状で、診断されたその時から、終末期に至るまでその原因は複数が合わさっていると考えられる。不眠の原因として、5つの領域(5つのP)を念頭におくことが重要である。この枠組みを使うことで、「なんとなく眠れない」という漠然とした訴えを、具体的に介入可能な要因へと分解していくことができる。
3.2 Physical:身体が発するサイン
身体的要因では、疼痛、頻尿、呼吸困難などが挙げられる。疼痛が原因であれば、積極的に疼痛緩和を図る。夜間頻尿では、夜間の点滴を少なくし、前立腺疾患の有無を評価し対応することで不眠が改善されることがある。レストレッグ症候群や睡眠時無呼吸症候群でも、不眠や日中の強い眠気の原因となる。体に起きている不調が、そのまま眠りを妨げる直接的な引き金になっているケースである。
3.3 Psychological:心が落ち着かない夜
心理的要因では、ストレスや緊張などが挙げられる。不眠を気にし過ぎて眠れなくなっていたり、病気への心配から夜間の心細さが原因で眠れなくなったりすることもあるため、患者の状況に合わせた対応を行う。時間の許す限り寄り添い、安心できる関わりを試みることも重要である。
また、夜の睡眠のみに注目するのではなく、活動と休息のバランスの視点をもって、本人の病状や体の可動域を考慮する。軽い運動や散歩、ベッド上でできる呼吸法などを活用し、1日の生活リズムを整える。アロマオイルを使用した足浴や軽いマッサージを行うなど、本人がリラックスできる方法を取り入れることも効果的である。
3.4 Physiological:環境という名の見えない障壁
生理的要因では、騒音、光、不快な温度、慣れない場所など、も不眠の原因となることがある。病院で働いている医療従事者にとっては、気にならない音や光でも患者にとっては苦痛となる。夜間の話し声や足音にも注意が必要である。また、窓のない部屋の場合、昼夜の区別がつかなくなってしまうことがあるため、昼間は出来る限り日光を取り入れ、夜間は照明を暗くするなどの工夫をする。特に、入院や入所で環境が変化する際には、照明の明るさや体勢、就寝前の習慣など普段の様子を確認し、眠れる環境を整える。ケアを提供する側にとっては「いつもの環境」でも、患者にとってはまったく異質な空間であるという自覚が、この要因への対応の出発点になる。
3.5 Psychiatric:心の病気が引き起こす不眠
精神学的要因では、うつ病、統合失調症、不安性障害(神経症)などの精神障害から不眠を引き起こす事がある。その場合は眠れないことにより日中の興味関心が無くなっていないか、その状態がどのくらい続いているかを確認し、必要に応じて専門医へ相談する。後述する抑うつ状態との関連が、特にこの領域では深く関わってくる。
3.6 Pharmacological:薬そのものが原因になることも
薬理学的要因では、不眠の原因となる薬剤の使用を確認し、不眠への影響が少ない薬剤への変更や投与時間の工夫を検討する。治療のために使っている薬が、皮肉にも不眠という新たな症状を生み出してしまうことがあるという視点は、薬物療法全体を見直すうえで欠かせない。
4. 眠れない夜に薬で応える
4.1 身体症状の緩和と並行して進める
終末期では、痛みや呼吸困難などの身体的苦痛が十分にとりきれないために不眠が生じている場合も多く、対応が困難であることも多い。そのような場合には、全体的な苦痛の程度も考慮し、身体症状の緩和と並行して不眠への薬物療法を行うことが多い。不眠だけを単独で切り離して治療しようとするのではなく、全身の苦痛というより大きな文脈の中で薬を選んでいく姿勢が求められる。
4.2 睡眠薬の主役、ベンゾジアゼピン系薬
睡眠薬の中でも、ベンゾジアゼピン系睡眠導入薬は不眠の治療薬として最も頻繁に使用される薬剤である。健忘や依存、過鎮静等の副作用も比較的生じやすいので注意を要する。特に高齢者や終末期患者では翌日への持越しや体内への蓄積に注意し、筋弛緩作用による転倒には特に注意する。
薬剤は、作用時間の長さによって4つに分類される。超短時間作用型(ラメルテオン、ゾルピデム、トリアゾラム、ゾピクロンなど)は半減期がおおむね1〜6時間と短い。短時間作用型(ブロチゾラム、リルマザホン、ロルメタゼパム、スボレキサントなど)は半減期7〜12時間程度。中間作用型(フルニトラゼパム、エスタゾラム、ニトラゼパムなど)は半減期15〜30時間程度。長時間作用型(フルラゼパム、クアゼパムなど)になると半減期は40〜120時間にも及ぶ。
4.3 不眠のタイプに応じて、薬の「効き方」を選ぶ
不眠のタイプに対する睡眠薬の使用方法の基本的な考え方は、入眠困難の場合は短時間作用型を、中途覚醒や早期覚醒の場合は長時間型を使用する、というものだ。寝つくこと自体が難しいのか、眠りを維持することが難しいのかによって、求められる薬の「持続時間」が変わってくるという、理にかなった使い分けである。
がん患者や高齢者は、体内に薬剤の蓄積が起こりやすいので、翌朝への持越し効果や転倒などの危険性が少ないことが示されている超短時間作用型、あるいは短時間作用型の睡眠薬が推奨される。
5. 薬に頼らない、眠りへのアプローチ
5.1 副作用への抵抗感も、無視できない現実
薬物療法での対応を行うことが多いのが現状ではあるが、副作用もあり患者自身が抵抗感をもつ場合もある。そのため薬物療法の併用の有無にかかわらず非薬物療法は重要となる。
5.2 睡眠について正しく知る、という第一歩
「睡眠健康教育」は、睡眠に対する正しい知識を身につけるとともに、睡眠及び環境要因を変化させることを目標にする。必要な睡眠時間は人それぞれで異なるため、翌日に眠気など困らなければ睡眠時間にこだわらず、それで十分であることを説明する。昼を過ぎたらカフェインが含まれた飲料や食べ物を控える。就寝2時間前には刺激物(喫煙など)と飲酒を避ける。就寝前には重い、あるいは辛い食事をしない。午後、規則的に軽い運動をする。暗く静かな環境にする。眠ろうとがんばらない——こうした基本的な知識そのものが、不眠への最初の対処法になりうる。
5.3 「床」と「眠り」を結びなおす、刺激制限療法
「刺激制限療法」は、時間(就床時間)と環境(床と寝室)の刺激を入眠開始と関連付け、規則的な睡眠覚醒リズムを確立することを目標にする。就寝前に最低1時間リラックスするための時間を確保する、就寝前に何か決め事を行うようにする、眠気が出てから床につく、15〜20分経っても寝付けないときは床から出て眠くなったら再び床につく、起床時間を一定にする、床と寝室を睡眠以外に使用しない、日中うたた寝をしない。こうした手続きの一つひとつは、「床=眠る場所」という結びつきを体に覚え直させるための、地道な再教育だと言える。
5.4 あえて眠る時間を減らす、睡眠制限
「睡眠制限」は、床で過ごす時間を実際の睡眠時間に短縮する、つまり軽度の睡眠はく奪を行うことでより集中的で効率のよい睡眠が可能となるようにすることを目標にする。床で過ごす時間を実際の睡眠時間の合計に制限する、睡眠効率が改善したら床で過ごす時間を徐々に長くする。一見逆説的だが、「眠れない時間までベッドにいる」ことをやめることで、かえって眠りの質を高めようという発想である。
5.5 体と心の緊張をほどく、リラックス訓練
「リラックス訓練」は、睡眠を障害する身体的および認知的な覚醒を低下させることを目標にする。漸進的筋弛緩法、自律訓練、イメージ療法などが、その具体的な手法として挙げられる。
5.6 「眠れない」という訴えの、その奥にあるもの
患者が眠れないと訴える背景を知ることも大切である。例えば、日中の眠気が強く家族と話しができない、趣味の時間を作ることができないなど、患者が夜間、眠れないことでどのような事に困っているのかに目を向け、情報収集し多職種で対策を考えていく必要がある。このように不眠ケアにおいては、多角的な視点での分析と評価が重要となってくる。
本人の「眠れない」という主観的訴えを否定せずに聞き、抱えている不安や悩みなどを傾聴することも大切なケアである。「眠れないこと」そのものより、「眠れないことで何が失われているか」に目を向ける姿勢が、不眠ケアの核心にあると言えるだろう。
6. 心が晴れないとき:抑うつ状態という症状
6.1 抑うつ状態の輪郭
抑うつ状態とは、気分の落ち込みや活動意欲の低下、集中力の低下、食欲の低下や過食、味覚異常、また不眠などの睡眠障害などを来している状態である。進行がんの患者の4〜7%が病的な抑うつ状態を発生する。抑うつ状態は、がんと診断された時期から終末期に至るまでのどの時期でも起こりうる。
がんに罹患すること自体が死を連想させ、大きなライフイベントとなる。がん患者に精神症状が現れることは稀ではなく、中でも高頻度に抑うつ状態がみられる。がん患者の抑うつ状態は、QOLの低下、生存期間、がん治療に対するアドヒアランス低下、家族の精神的負担の増大、入院期間の長期化、自殺など多岐にわたる問題に影響を与えることが明らかにされている。
「大うつ病(病的な抑うつ状態)」との鑑別は必要であるが、わが国では進行がんの患者の場合、がんの種類や病期を問わず約10%前後は抑うつ状態を発生するため、精神科にコンサルテーションし、適切な治療を行うことが望ましい。一般的に抑うつ状態が2週間以上続く場合は「大うつ病」と診断される。
6.2 なぜ心は沈んでいくのか
病歴で過去に「うつ病」などの精神疾患の既往を持つ患者は、がんに関連した抑うつ状態の発生の可能性を高める。また抑うつ状態の発生の原因とされる要素は多岐に渡り、患者本人の性格やこれまでのストレスへの対処の仕方、「がんになったこと」自体に対する苦悩や、社会的な側面(仕事への影響や家庭での役割の喪失など)、経済状況、身体症状などが絡み合い発生する。身体的・心理的・社会的側面に加え、治療で用いられる薬剤なども抑うつの原因となる。原因は1つではなく、複雑に絡み合っているため、患者の個別性に配慮し、全人的に評価・支援することが求められる。
痛みが強い、身体症状が多く重篤である、診断時点で進行がんである、予後が不良である、再発がんであるといった身体的・医学的な側面。ADLに制限がある、副作用が強い治療を予定している、インターフェロンやステロイドを使用している、正しく告知されていないといった治療に関連する側面。うつ病など精神科の既往がある、神経質・悲観的である、抑制が非常に強く無口であるといった心理的側面。アルコール依存・薬物依存がある、主治医への信頼感が低いといった要素も、抑うつを助長しうる。一人暮らしである、夫婦間あるいは家族間で問題が多い、経済的に問題がある、ソーシャルサポートが乏しいといった社会的側面も関わってくる。これほど多方面の要因が絡み合っているからこそ、アセスメントも治療も、一面的にはなりえない。
7. 沈む心を、どう見つけるか
7.1 「つらさと支障の寒暖計」という、シンプルな物差し
抑うつのアセスメントとしていくつかスクリーニング方法があるが、「つらさと支障の寒暖計」は看護師や介護士、もしくは他職種においても簡便で使用しやすいものとして挙げられる。この1週間の気持ちのつらさを平均して数字に丸をつけてもらう、そしてその気持ちのつらさのためにどの程度、日常生活に支障がありましたかと尋ねる、という2つの問いから成る。「日常生活の支障」とは、例えば夜眠れない、普段のように食事が摂れないなどのことを指す。つらさ4点以上、支障3点以上の場合、適応障害やうつ病などの精神症状の可能性がある。
患者の主観的症状「やる気が出ない」「憂鬱」「物忘れが多くなってきた」「集中力が無い」などを聴く上で、漫然とした質問を繰り返すことは患者の苦痛になりかねないため、的を射た質問を行う必要がある。抑うつ状態にほぼ必発する身体症状は「食欲不振」「不眠」「全身倦怠感」である。患者の状態を把握するための質問の中で、これらの項目についても同時に確認する場面は多い。常に、抑うつ状態のアセスメントを行うことも意識して患者の話を聴く必要がある。
いくつかのバリエーションを持つことも大切である。例えば「食事は美味しく食べられていますか」「食事を楽しめていますか」などである。
7.2 食べられなくなることの、奥にある物語
病院に入院中や施設入居中の利用者の中には、口に合わないなどの理由で提供される食事を残してしまうことがあるが、家族が差し入れてくれる食事などは美味しく食べることができる場合もある。例えば認知症でがんを罹患し食欲の低下がみられ始めた患者は、病院の食事が「美味しくない」など、食事に関する言葉は何も発しなかった。スタッフは患者が食事を摂らなくなった理由について「終末期における自然な経過である」と認識した。しかし家族の面会時に患者は笑顔を浮かべて家族と団らんしながら、差し入れのとんかつを完食したのである。自宅で食卓を囲むように食事ができること、病院食とは違った味を感じられることによる「自分はまだ食べることができる」という達成感が生きる意欲につながることもある。
このエピソードが物語るのは、食欲不振を単に「終末期だから当然」と片づけてしまうことの危うさである。終末期に関わる医療者は、患者の食事の摂取量が減少することを、「自然の流れである」と考えることが多い。しかし、食事摂取量の低下にまつわる答えは患者の中にある。患者に関わる医療職は先入観を取り払い、目の前で起こっている事象をより客観的視点でアセスメントしていく必要がある。また在宅療養中の患者であれば、独居の場合や家庭内で家族との接触が最低限である場合など、孤独を感じる場面も多くあるであろう。在宅医による往診、訪問看護師、ヘルパー、薬剤師、ケアマネジャーなど多職種の介入により、食事量の変化や食欲不振に気づくことができる。
このように、患者の感じる「孤独感」に気付くことができる環境にあるか等、食欲不振にまつわる背景を知ることは非常に大切な要素である。
7.3 不眠と全身倦怠感という、もう一つの手がかり
不眠と全身倦怠感は関連性を持ってアセスメントをすることができる。まず、眠れない原因は何かを、患者の言葉や一日の生活の流れから判断していく。「日中、全身倦怠感があるために昼寝をしてしまい、夜間眠れない」のか、「全身倦怠感はないが、眠れていない」のか、不眠の原因を抑うつと全身倦怠感に概ね鑑別することができる。
不眠には「入眠障害」「中途覚醒」「早朝覚醒」が挙げられるが、どのタイプの不眠なのかという情報が治療薬剤を選択する際に役立つ。眠れないことで、くよくよ考えてしまう「抑うつ気分」があり、興味関心が湧かない「興味の喪失」がある場合は抑うつ状態が考えられる。
全身倦怠感は進行がん患者の60〜90%にみられる頻度の高い症状である。食欲低下や体重減少を伴うこともあり、病状の進行によるものか、抑うつ状態によるものか、鑑別は難しい。その場合、倦怠感を緩和する治療を優先させ、症状の消失の有無を確認し、症状が無くならなければ、必要に応じて抑うつ状態の治療を行うこともある。
7.4 興味や関心が失われていく過程
これまでの趣味活動や習慣として行っていた活動に対し、「やる気」が出ない、関心を持てないといった傾向はないかを聴いていく必要がある。「最近、何をしても楽しく感じられないということはないですか」などの質問からその症状が認められた場合、「どのくらいその症状が続いているのか」を聴いていく。「うつ病診断基準と典型的な訴え」を参考に、抑うつのスクリーニングができるよう、患者からの情報を基に医師に相談していく。
診断基準には、精神症状として、抑うつ気分(気分が滅入る)、興味・意欲の低下(趣味に興味が持てない、何もしたくない、ペットが煩わしい)、自責感(他人に迷惑をかけている)、希死念慮(死にたい、目が覚めなければと思う)がある。身体症状としては、食欲低下(義務的に食べる、味がない)、全身倦怠感(身体がだるい)、制止(頭の回転が鈍い)、不眠(寝付けない、すぐに目が覚めてしまう、昼寝もできない)、集中・決断困難(新聞を読むことができない、何を買ってよいのかわからない)がある。このほか、診断基準とは直接関係ないがよくみられる症状として、めまい、ふらつき、喉が締め付けられるような感じ、胃部不快感がある。抑うつ気分、興味・意欲の低下のどちらかは診断に必須であり、これらを含む9項目のうち、5項目以上が2週間以上認められる場合にうつ病と診断される。
8. 最も注意すべきこと:希死念慮への向き合い方
8.1 なぜ希死念慮の確認が欠かせないのか
抑うつ状態を見逃してはならない最大の理由は、自殺の予防である。希死念慮とは「死にたいと願うこと」である。日本の自殺死亡率は、他の先進国より高く、原因は健康問題が最も多い。厚生労働省の「自殺総合対策大綱」では「がん患者について、必要に応じ、専門的、精神心理的なケアにつなぐことができるよう、がん患者の相談支援センターを中心とした体制の構築と周知を行う。」と示されている。
がんと診断されてから、治療や再発、緩和ケアへの移行など大きな決断やストレスがある。患者の病状の段階に合わせた、多職種協働の支援が求められる。
8.2 問うことをためらわない、という原則
抑うつ状態から希死念慮をアセスメントする際に、食欲がない・眠れない・だるい・億劫などから「抑うつ気分」「興味の消失」を確認し、そこから「こんなにつらいなら、この世から消えてしまいたいと考えることはありますか」「具体的な方法を考えることはありますか」と希死念慮の有無をかならず確認する。質問すること自体が自殺を助長することはない。希死念慮がみられた場合は、精神科の早期介入を行う。
「死にたいと聞くのは酷なのではないか」とためらう気持ちは自然なものかもしれないが、臨床的には、直接的に尋ねることが自殺のリスクを高めるわけではないという知見が明確に示されている。むしろ尋ねないことで、本人が一人で抱え込んでいる苦しみを見逃してしまうリスクのほうが大きい。
9. 抑うつ状態に薬で向き合う
9.1 効果が出るまでの時間を、あらかじめ共有しておく
抗うつ薬の効果発現には一般的に約2〜4週間の期間を要すると言われている。そのため抑うつの症状をできるだけ早期発見し、うつ病へ移行しないよう薬物療法やその他のケアを行う。抑うつの程度や、すでにうつ病が発症している場合とで、対応と使用薬物が異なり、個人差も大いに関連する。
がん患者が抗うつ薬を使用する場合、薬の相互作用には十分に注意しなければいけない。また服用を開始した最初の1〜2週間に強く副作用が現れることがあり、効果を感じる前に「薬を飲んだらかえって悪くなった」と治療を自己中断してしまう場合がある。薬の副作用と効果が正しく理解できるように患者や家族に説明することが重要である。この「効果が出る前に副作用だけが先に来る」という時間差こそ、服薬継続を支えるうえで最も丁寧な説明を要するポイントである。
9.2 症状の軽重に応じて選ばれる薬
抑うつ症状が軽度の場合、抗不安薬であるアルプラゾラム(ソラナックス、コンスタンなど)、ロラゼパム(ワイパックスなど)、エチゾラム(デパスなど)が用いられる。定時内服もしくは屯用薬として処方される。主な副作用は、眠気、ふらつきが多く、他に頭痛、歩行障害、低血圧、肝機能障害などがあり、とくに高齢者ではふらつきによる転倒に注意が必要である。
抑うつ症状が中程度の場合、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)であるデプロメール、パキシル、ジェイゾロフトや、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)であるトレドミンが用いられる。また点滴での投与可能な抗うつ薬としてクロミプラミン(アナフラニール)がある。
SSRIの副作用は、めまい、ふらつき、眠気、振戦などがみられる。せん妄、錯乱、幻覚、妄想、ショックがみられたときやセロトニン症候群、悪性症候群が疑われる場合は中止する。起立性低血圧や鎮静作用の副作用が少ないため、高齢者にも使用しやすい。しかし、躁転する場合があるため、自殺、自殺企図に注意が必要である。
SNRIはセロトニンとノルアドレナリンに対して働き、それ以外の受容体にはほとんど作用しないため、比較的副作用は少なく、吐き気、下痢、性機能障害、不眠がみられることがある。緑内障、前立腺肥大がある場合は慎重投与する。
10. 抑うつ状態にある人への、ケアという名の寄り添い
10.1 「励まし」が、かえって追い詰めてしまう理由
抑うつ状態の患者は「やりたいことがあっても意欲が湧かず、その状態自体がつらい」という葛藤を抱えていることが多い。家事が行えないことや楽しいはずの家族との時間を楽しむことができないことについて「家族に申し訳ない」と自責の念を持ったり、また抑うつ状態になる前の自分と現在の自分を比較することで更に自分に追い打ちをかけてしまったりする場合もある。それにより、「早く元の自分に戻らなければいけない」などの焦燥感を抱くことも少なくない。
そのため抑うつ状態の患者への声掛けは、励まし等の言葉は避ける。患者の発する言葉や態度に支持的な姿勢でいること、そして患者のありのままの思いを受け止めるようにする。「頑張って」という言葉が、すでに頑張れない自分を責めている本人にとって、さらなる重荷になりうるという理解が、このケアの出発点にある。
10.2 家族への橋渡しという、もう一つの役割
抑うつ状態の患者への接し方や、注意しなければならないポイントを家族に伝える。また抑うつ状態は治療が必要であることも伝え、薬物治療への理解や家族の協力が必要であること、困ったことや心配なことがある際にはいつでも声を掛けてほしいこと、患者同様に患者をサポートする家族も支持していくという意向を伝える。そして、抑うつ状態の患者への接し方について家族、キーパーソン、親しい友人との情報共有ができることが望ましい。
具体的な接し方・注意点としては、過度な励ましは患者にとってつらいものであるため避けること、本人の思いを聴こうとする姿勢を示すこと、安心・安全に過ごせる療養環境を整えること、やる気が出ないという思いを認めつつ散歩や軽い運動などを勧めること、そして自殺念慮に注意し防止に努めることが挙げられる。
10.3 意思決定という、見過ごせない論点
がんの病期によっては、患者は治療方法の選択や方向性などの厳しい意思決定の場面に直面する。抑うつ状態では適切な意思決定が行えない可能性がある。患者が選択した事柄に抑うつ状態の影響が考えられる場合には、患者の抑うつ状態の程度や意思決定能力について多角的に判断するために、多職種で話し合う機会を持つことも必要である。本人の「選んだこと」が、本当に本人の意思なのか、それとも抑うつという病状がその選択を歪めていないか——この見極めは、終末期ケアにおける倫理的な難題の一つである。
また、抑うつ状態では、医療従事者からの心理的な援助の有無が精神的な適応を大きく左右する要因であることが示されており、医療従事者が患者の精神状態をよく理解し、医療チームとして患者を支えていく体制を整えていくことが重要である。
11. まとめ:眠れない夜と、晴れない心は、つながっている
不眠と抑うつ状態は、それぞれ独立した症状のように見えて、実際には深く絡み合っている。眠れないことが日中の活力を奪い、気分の落ち込みを助長し、気分の落ち込みがまた夜の不眠を呼び込む——この悪循環を断ち切るためには、「5つのP」や「つらさと支障の寒暖計」といった具体的な枠組みを使いながら、本人の訴えの奥にある背景を丁寧に掘り下げていく姿勢が欠かせない。
とりわけ重要なのは、「終末期だから眠れなくて当然」「がんだから気分が沈んで当然」という思い込みに安易に流されないことである。食欲不振の背景に孤独感が潜んでいたように、不眠や抑うつの背景にも、本人にしか語れない具体的な理由が隠れていることがある。そして、希死念慮という最も重い兆候を前にしても、問うことをためらわないこと。眠れない夜と晴れない心、その両方に、医療・介護従事者がどれだけ正確に、そして誠実に向き合えるかが、終末期を生きる人の最後の時間の質を、静かに左右しているのである。
付記:本稿では希死念慮・自殺予防に関する医学的・ケア的な情報を扱っています。このテーマはデリケートな内容を含むため、もしご自身やご家族がこうした気持ちを抱えている場合は、医療機関やお住まいの地域の相談窓口(よりそいホットラインなど)へのご相談も選択肢としてお伝えしておきます。
