悪性腫瘍の終末期ケア――苦痛を和らげ、その人らしい最期を支える
がんの終末期ケアで大切なのは、病気の進行を抑えることだけではありません。痛みや息苦しさを和らげ、食べられなくなるつらさに寄り添い、患者本人と家族が残された時間をできるだけ穏やかに過ごせるように支えることも、医療の重要な役割です。
がんが進行すると、身体の状態は少しずつ変化し、最期が近づくにつれて急速に体力や生活機能が低下することがあります。その過程では、鎮痛薬の使い方、苦痛を和らげるための鎮静、点滴や栄養補給の考え方、食事をめぐる心理的な葛藤、せん妄への対応など、さまざまな課題が生じます。
こうした場面では、単に症状を取り除くだけでなく、患者が何を苦痛に感じ、何を大切にしているのかを理解する必要があります。医学的な判断と人間的な配慮を組み合わせながら、本人にとって納得できるケアを考えることが求められます。
1. 悪性腫瘍とは何か――病気の進行と身体の変化
がんの特徴は、自律的な増殖と浸潤・転移にある
「悪性のがん」と「良性のがん」という表現を耳にすることがありますが、医学的には、がんは悪性腫瘍を指します。良性腫瘍と悪性腫瘍では、周囲の組織や身体全体に及ぼす影響が異なります。
悪性腫瘍には、主に三つの特徴があります。
第一は、自律性増殖です。正常な細胞は、身体の状態や周囲からの調節に応じて増殖します。一方、がん細胞は正常な調節から外れて増殖を続け、周囲の組織に負担を与えます。
第二は、浸潤と転移です。浸潤とは、がん細胞が周囲の組織に入り込みながら広がることです。転移とは、がん細胞が血液やリンパ液などを介して別の部位に移動し、新たながん病巣を形成することを指します。がんが発生した場所だけでなく、離れた臓器にも影響が及ぶため、治療が複雑になることがあります。
第三は、悪液質(あくえきしつ)との関連です。進行がんでは、食欲の低下や代謝の変化、筋肉量の減少などが重なり、身体が著しく衰弱することがあります。これは単に食事の量が減ったという問題ではなく、がんに伴う身体全体の変化として理解する必要があります。
良性腫瘍も増殖することはありますが、一般に悪性腫瘍のような浸潤・転移を起こしません。腫瘍の種類や発生部位によって対応は異なるものの、悪性腫瘍と診断された場合には、病状に応じた治療や慎重な経過観察が必要です。
がんの種類によって治療方法は異なる
悪性腫瘍は、大きく固形がんと血液がんに分けられます。
固形がんには、胃がん、大腸がん、乳がん、肺がんなど、臓器や組織に腫瘍を形成するものがあります。血液がんには、白血病や悪性リンパ腫などが含まれます。
治療では、手術、薬物療法、放射線治療などを単独で、あるいは組み合わせて用います。これらを病状に応じて組み合わせる考え方が、集学的治療です。
比較的早期の固形がんでは、手術によって腫瘍を取り除き、その後に再発予防のための薬物療法や放射線治療を行う場合があります。血液がんでは、薬物療法が中心となることが多くあります。
しかし、治療を受けたからといって、必ずしも再発や転移を防げるわけではありません。再発した場合には、病変の場所や患者の全身状態などを踏まえ、薬物療法、放射線治療、免疫療法などを検討します。
ここで重要なのは、がんの治療と苦痛を和らげるケアは、必ずしも別々のものではないということです。治癒を目指す治療を続けている段階でも、痛みや不安、治療の副作用などに対応するケアが必要になります。
最期が近づくと、身体の機能が急速に低下することがある
がんの進行の仕方は、病気の種類や患者の状態によって異なります。長い期間にわたって比較的安定していても、亡くなる前の約1~2か月に活力や身体機能が急激に低下する経過がみられることがあります。
それまで自分でできていた身の回りのことが難しくなり、食事の量が減り、体重が落ち、起き上がったり歩いたりすることにも大きな負担を感じるようになります。本人や家族が「ここ最近、急に状態が悪くなった」と感じるのは、こうした変化が短期間に重なるためです。
ただし、すべてのがん患者が同じ経過をたどるわけではありません。慢性疾患では急激な悪化と回復を繰り返す場合もあり、臓器の機能が長期間にわたって徐々に低下する病気もあります。
終末期ケアでは、病気の一般的な経過を理解しつつ、目の前の患者に生じている変化を丁寧に観察することが大切です。
2. 緩和ケアは、がんと診断されたときから始まる
緩和ケアは、最期の時期だけに行うものではない
緩和ケアという言葉から、治療を終えた患者や、亡くなる直前の患者に行う医療を想像する人は少なくありません。しかし、緩和ケアは終末期だけに限定されるものではありません。
世界保健機関(WHO)は2002年、緩和ケアを、生命を脅かす病気に直面している患者とその家族の生活の質を改善するための取り組みとして位置づけました。身体的な苦痛だけでなく、心理的、社会的、スピリチュアルな問題にも目を向け、苦痛の予防や軽減を目指す考え方です。
例えば、がんと診断された直後には、病気そのものの症状が軽くても、「これからどうなるのだろう」「家族に迷惑をかけるのではないか」といった不安が生じます。手術や抗がん剤治療が始まれば、痛みや吐き気などの身体症状に加え、仕事や家事、経済面への影響も問題になります。
こうした困難に対応することも、緩和ケアの一部です。
つまり、緩和ケアは、がんを治すための治療を諦めたときに始まるのではありません。がんの治療を支えながら、患者が抱える苦痛を早い段階から軽減していくためのケアなのです。
身体・心理・社会・スピリチュアルの苦痛を捉える
がん患者の苦痛は、痛みや息苦しさだけではありません。緩和ケアでは、患者が抱える問題を多面的に理解する必要があります。
| 苦痛の種類 | 具体的な例 |
|---|---|
| 身体的苦痛 | 痛み、呼吸困難、吐き気、倦怠感、不眠 |
| 心理的苦痛 | 不安、恐怖、抑うつ、先行きへの心配 |
| 社会的苦痛 | 仕事や収入の問題、家族関係、役割を失うつらさ |
| スピリチュアルな苦痛 | 生きる意味への問い、自分らしさの揺らぎ、死への不安 |
これらの苦痛は、互いに影響し合います。例えば、痛みが強ければ眠れなくなり、疲労が蓄積して気持ちも落ち込みやすくなります。将来への不安が強まることで、痛みをさらに耐え難く感じることもあります。
反対に、家族と安心して話せる時間が確保され、不安が軽減されれば、患者が病状や治療に向き合いやすくなることもあります。
そのため、症状に対する薬物療法だけでなく、患者の話を聴くこと、必要な情報をわかりやすく伝えること、生活上の困りごとを調整することが重要です。
家族もケアの対象として考える
がんの診断や進行は、患者本人だけでなく家族の生活にも大きな影響を与えます。家族は、病状への不安を抱えながら、通院への付き添いや日常生活の支援、治療方針についての話し合いなどを担うことがあります。
終末期が近づくと、「何かしてあげたいのに、何をすればよいかわからない」という無力感や、患者の苦しむ姿を見るつらさが生じることもあります。
そのため、家族にも病状や予測される変化について適切に説明し、疑問や不安を話せる機会を設けることが必要です。患者が亡くなった後の悲嘆についても、支援の視野に入れることが大切です。
緩和ケアは、患者の症状だけを管理する医療ではありません。患者と家族を一つの生活の文脈の中で理解し、病気によって揺らいだ日常を支える取り組みなのです。
3. がん性疼痛への対応――痛みを我慢させない医療
痛みの原因と特徴を見極めて治療する
がんが進行すると、腫瘍そのものや骨などへの転移、周囲の神経への影響などによって痛みが生じることがあります。こうしたがんに関連する痛みを、がん性疼痛と呼びます。
痛みは患者の生活の質を大きく損ないます。眠れない、身体を動かせない、食事が進まないといった問題を引き起こすだけでなく、「この痛みがもっと強くなるのではないか」という不安にもつながります。
しかし、痛みがあるからといって、すべての患者に最初から最も強い鎮痛薬を使用すればよいわけではありません。痛みの強さ、性質、発生部位、持続時間、日常生活への影響などを評価し、適切な薬剤や投与方法を選ぶ必要があります。
治療に際しては、鎮痛効果だけでなく、副作用にも注意します。薬によっては眠気、便秘、吐き気などが生じることがあるため、効果と負担の両方を確認しながら調整します。
患者が痛みを訴えたときには、単に数値で強さを尋ねるだけでなく、「どんなときに痛むのか」「何をすると楽になるのか」「夜は眠れているか」といった生活に即した質問も重要です。患者自身が感じている苦痛を具体的に把握することで、より適切な対応につながります。
痛みの緩和は、生活を取り戻すための支援でもある
痛みを和らげる目的は、痛みの数値を下げることだけではありません。患者が休息を取れるようになり、家族と話したり、好きな音楽を聴いたり、可能な範囲で自分の望む生活を続けたりできるようにすることも大切です。
例えば、痛みが軽減すれば、ベッド上で過ごす時間が長い患者でも、家族と一緒に食事をする時間を持てるかもしれません。身体を動かすことが少し楽になれば、窓辺に移動して外の景色を見ることもできるでしょう。
このように、疼痛管理は、患者の生活そのものを支えるためのケアです。痛みの有無だけでなく、痛みが患者の暮らしにどのような影響を与えているかを考える必要があります。
4. 苦痛を和らげるための鎮静――効果と倫理を考える
鎮静が検討されるのは、通常の治療では和らげられない苦痛があるとき
がんの終末期には、さまざまな治療やケアを行っても、十分に軽減できない苦痛が生じることがあります。例えば、強い呼吸困難、せん妄、身体的な痛み、耐え難い精神的苦痛などです。
このような苦痛に対して検討される方法の一つが、鎮静です。鎮静とは、苦痛を和らげることを目的として鎮静薬を投与し、意識の水準を低下させる方法です。
鎮静は、鎮痛薬などによる通常の症状緩和とは異なり、意識の低下を伴う可能性があります。そのため、薬を使用すればよいという単純な問題ではなく、苦痛の程度、ほかの治療方法の可能性、患者の意思、予測される利益と不利益などを慎重に検討しなければなりません。
鎮静を必要とする患者の割合や対象となる症状は、研究や対象集団によって異なります。重要なのは、鎮静を終末期の標準的な対応として一律に行うのではなく、個々の患者の状態に応じて適応を判断することです。
調節型鎮静と持続的深い鎮静
鎮静には、意識の低下の程度や持続時間、薬剤の調整方法などによって異なる方式があります。
鎮静の主な方式
| 方式 | 特徴 | 主な検討事項 |
|---|---|---|
| 間欠的鎮静 | 一定時間、意識を低下させた後に薬剤を中止し、意識が回復する時間を確保する | 休息による苦痛の緩和と、意識が保たれる時間の両立 |
| 調節型鎮静 | 苦痛の程度に応じて薬剤を少量から調整し、必要以上に意識を低下させないことを目指す | 苦痛の軽減とコミュニケーションの維持 |
| 持続的深い鎮静 | 深い鎮静状態を持続させる | 強い苦痛がほかの方法では緩和できない場合などに、慎重な適応判断を行う |
間欠的鎮静では、薬剤を中止した後に意識が回復する時間を設けることを目指します。調節型鎮静では、できるだけ意識を保ちながら、苦痛が和らぐ程度に薬剤を調整します。
一方、持続的深い鎮静では、深い鎮静状態を維持するため、患者が周囲の人とコミュニケーションを取ることが難しくなる可能性が高くなります。
したがって、鎮静を検討する際には、まず苦痛を軽減するためにほかの方法がないかを確認し、患者の状態に合った方法を選択します。ただし、苦痛が非常に強く、ほかの方法では緩和が困難であると判断される場合には、持続的深い鎮静が検討されることもあります。
鎮静を実施する際に求められる倫理的判断
鎮静には、患者の苦痛を軽減するという利益がある一方で、意識が低下し、意思を伝えたり、家族と会話したりする機会が失われる可能性があります。そのため、医学的な必要性だけでなく、倫理的な妥当性についても検討する必要があります。
重要になるのは、次のような観点です。
まず、鎮静の目的が苦痛の緩和であることです。苦痛を軽減するという意図を明確にし、ほかの治療方法で十分な効果が得られないかを確認します。
次に、患者の意思を尊重することです。患者に意思決定能力がある場合には、必要な情報を伝えたうえで意思を確認します。意思を表明することが難しい場合には、これまでの発言や価値観などから、本人が何を望んでいたかを慎重に考えます。家族にも十分な説明を行い、心理的な負担に配慮する必要があります。
さらに、鎮静によって得られる苦痛緩和の利益と、意識や生命予後などに及ぼす可能性のある影響を比較し、状況に見合った方法であるかを検討します。
こうした判断は、医師一人だけで完結させるものではありません。看護師などを含む医療チームが患者の状態や意思について情報を共有し、必要に応じて緩和ケアの専門家などにも相談しながら判断することが重要です。
鎮静と安楽死は、目的が異なる
鎮静について理解するうえで、安楽死との違いを正しく認識することも大切です。
鎮静の目的は、耐え難い苦痛を緩和することです。苦痛を和らげるために必要な範囲で薬剤を使用し、苦痛が軽減された場合には、目的を超えて薬剤を増量することを避けます。
これに対して、安楽死は、患者の死亡を目的として致死的な薬物を用いる行為を指します。両者は、意図、薬剤の使用方法、目標とする結果が異なります。
終末期における医療行為は、患者の生命や尊厳に深く関わります。そのため、鎮静を単に「眠らせて苦痛をなくす方法」と理解するのではなく、患者の苦痛を軽減するという目的と、意識を低下させることの意味を十分に考える必要があります。
5. 終末期の点滴と輸液――水分を補えば楽になるとは限らない
食べられない患者に、点滴をすればよいのか
終末期の患者が食事や水分を十分に摂れなくなったとき、家族は「何も食べられないのだから、せめて点滴で栄養や水分を補ってほしい」と考えることがあります。医療者にとっても、食べられない患者に何らかの処置を行うことは、自然な選択肢のように思えるかもしれません。
しかし、終末期の患者に点滴を行えば、必ず体力が回復したり、苦痛が軽くなったりするわけではありません。むしろ、身体の状態によっては、過剰な輸液が症状を悪化させることがあります。
進行がんでは、食事や水分の摂取量が減るだけでなく、栄養状態の悪化や代謝の変化によって、血管内に水分を保つ働きが損なわれることがあります。その結果、血管内の水分が不足する一方で、血管の外側に水分がたまり、浮腫や胸水、腹水などが生じる場合があります。
このような状態では、点滴で水分を補っても、身体全体の状態が改善するとは限りません。輸液量が多すぎると、むくみや胸水、腹水などが悪化し、かえって苦痛が増す可能性があります。
輸液は、患者の状態と目的に応じて判断する
終末期の輸液を考える際には、「食べられないから点滴をする」という一律の判断を避けることが大切です。
例えば、脱水が症状の一因となっており、水分を補うことで状態の改善が期待できる場合と、病状の進行によって水分を補っても十分な改善が見込めない場合とでは、対応が異なります。
点滴のために血管を確保すること自体が、患者にとって負担になることもあります。血管が確保しにくい場合には、何度も針を刺すことになり、身体的な苦痛を伴う可能性があります。状況によっては、皮下に水分を投与する皮下輸液が選択肢となることもあります。
重要なのは、輸液を行うこと自体を目的にしないことです。水分を補うことで何が期待できるのか、どのような負担が生じる可能性があるのかを確認し、患者本人や家族の思いも踏まえながら方針を決めます。
終末期のケアでは、治療や処置を追加することだけが患者のためになるわけではありません。身体に負担を与える処置を控え、苦痛を減らすことが、より適切な場合もあります。
6. がん悪液質――食べても体重や筋肉が戻らない理由
悪液質は、単なる食欲不振や栄養不足ではない
進行がんの患者では、食欲が低下し、体重が減り、筋肉が衰えていくことがあります。このような状態に深く関係するのが、がん悪液質です。
悪液質とは、がんに伴う代謝の変化などによって、体重や筋肉量が減少し、身体機能が低下していく複合的な状態です。単に食事を十分に摂れていないという問題とは異なり、通常の栄養補給だけでは改善しにくいという特徴があります。
健康な人が食事を十分に摂れずに体重が減った場合、食事量を増やすことで体重が回復することがあります。しかし、がん悪液質では、食事の摂取量が減ることに加え、身体の代謝そのものが変化しています。そのため、カロリーを補給しても、筋肉量や身体機能が期待どおりに回復しないことがあります。
体重が減ると、周囲の人は「もっと食べれば元気になるのではないか」と考えがちです。患者自身も、食べられないことに罪悪感を抱いたり、家族の期待に応えられないと感じたりすることがあります。
しかし、進行がんに伴う体重減少は、本人の努力不足によって起こるものではありません。食べる意欲があっても食べられない、食べても身体が以前のように反応しないという状況が生じるのです。
体重減少と筋肉量の低下を見逃さない
がん悪液質では、脂肪だけでなく筋肉も減少します。筋肉量が減ると、立ち上がる、歩く、身体を支えるといった動作が難しくなり、日常生活の自立度も低下します。
診断の考え方としては、体重の変化やBMI、筋肉量の低下などが用いられます。参照されている診断基準では、例えば、6か月間に5%を超える体重減少、BMIが20未満で2%を超える体重減少、あるいは筋肉量の低下を伴う一定の体重減少などが判断材料になります。
ただし、体重減少があればすべて悪液質だと判断できるわけではありません。がんによる消化管の閉塞や狭窄、治療に伴う吐き気や下痢、口腔粘膜の障害など、食事量の低下につながる原因はほかにもあります。
こうした原因の中には、治療や症状への対処によって改善が期待できるものもあります。そのため、体重が減っている患者に対しては、悪液質の可能性を考えると同時に、治療可能な問題が隠れていないかを確認する必要があります。
栄養補給だけでは解決できない場合がある
がん悪液質では、通常の栄養管理だけで筋肉量や身体機能を十分に回復させることが難しい場合があります。特に終末期では、カロリーを増やすことが、そのまま体力の回復や生命予後の改善につながるとは限りません。
そのため、終末期の患者に高カロリー輸液を行うかどうかについても、慎重な判断が必要です。栄養を補給すること自体を目標にするのではなく、患者の状態や期待できる効果、処置に伴う負担を考慮しなければなりません。
一方、がん悪液質に対しては、食欲や筋肉量などへの効果が期待される薬剤が用いられる場合もあります。参照資料では、グレリン受容体作動薬であるアナモレリン塩酸塩が取り上げられています。使用に際しては、患者の状態や適応を確認し、血液検査や心電図などによるモニタリングを行うことが重要とされています。
薬物療法だけでなく、食事の工夫や身体状況に応じた支援を組み合わせることも大切です。ただし、効果には限界があり、病状や患者の状態によって対応は異なります。
7. 「食べられないつらさ」に寄り添う――食事には栄養以上の意味がある
食事は、身体を養うだけでなく、人と人をつなぐ
食事には、栄養や水分を摂取するという生理的な役割があります。しかし、それだけではありません。好きなものを味わう楽しみであり、家族や友人と会話する機会であり、日常生活のリズムをつくる大切な営みでもあります。
家族で食卓を囲むことや、誰かと一緒に好物を食べることは、人生の思い出と結びついている場合があります。だからこそ、がんが進行して食べられなくなることは、単に栄養を摂れなくなる以上の意味を持ちます。
患者は、食べたいのに食べられないことへのもどかしさを感じるかもしれません。以前は楽しみにしていた食事が苦痛になり、家族と同じものを食べられないことに寂しさを感じることもあります。
家族もまた、患者が食べられなくなる様子を見て、不安や悲しみを抱きます。「何か食べてほしい」「少しでも体力をつけてほしい」という願いから、食事を勧めることもあるでしょう。
しかし、患者が食べられない理由を理解しないまま食事を勧め続けると、本人の負担が増し、家族との関係にも影響することがあります。
ERD――食べることに関する身体的・心理的・社会的な苦悩
食べることに関するつらさは、ERD(Eating-Related Distress)と呼ばれます。これは、食事や摂食をめぐる苦痛を、身体面だけでなく心理面や社会面も含めて捉える考え方です。
例えば、身体面では、食欲がない、少し食べるだけで満腹になる、食べると吐き気がするなどのつらさがあります。
心理面では、食べられないことで体重が減ることへの不安や、「自分が努力していないから食べられないのではないか」という自責の念が生じることがあります。
社会面では、家族と同じ食事を楽しめなくなったり、友人との食事に参加しづらくなったりすることで、孤独感や疎外感が強まる場合があります。
このような苦悩に対しては、患者に無理に食べることを求めるのではなく、病状によって食事が難しくなっていることを理解できるように支援する必要があります。
患者自身が努力すれば必ず改善するという問題ではないことを伝え、食事を栄養補給の手段だけとして扱わず、楽しみや安らぎにつながる時間として支えることが重要です。
食べることが難しくても、一緒に食卓を囲むことはできる
食事量が減った患者に対して、家族ができる支援は、食べ物を勧めることだけではありません。
例えば、患者が実際には食べられなくても、家族と一緒に食卓に座り、会話を楽しむことはできるかもしれません。食べられるものを少量だけ用意したり、本人が望むものを無理のない範囲で味わったりすることも考えられます。
大切なのは、食べられる量だけで患者の状態や努力を評価しないことです。
「今日は何口食べられたか」という数字に注目するだけでなく、「何なら食べたいと思えるか」「食事の時間をどのように過ごしたいか」といった本人の気持ちを大切にします。
食事の場を共有すること自体が、患者にとって人とのつながりを感じられる時間になる場合があります。食べることが難しくなったからといって、食事を通じた交流まで失われる必要はありません。
終末期ケアでは、栄養状態を改善することだけを目指すのではなく、患者が食事に感じている意味を理解し、残された時間の楽しみや人間関係を支える視点が欠かせません。
8. 終末期のせん妄――身体の変化を見逃さず、安心できる環境を整える
せん妄は、意識や注意力が変化する状態
がんの終末期には、せん妄が生じることがあります。せん妄とは、身体的な病気や薬剤などの影響によって、注意力や意識、認知機能が急に変化する状態です。
例えば、患者が時間や場所を正しく認識できなくなったり、周囲の状況を理解しにくくなったりすることがあります。落ち着かずに動き回る場合もあれば、反対に反応が乏しくなり、ぼんやりとした状態になる場合もあります。
終末期のがん患者では、せん妄が比較的高い頻度でみられ、死亡が近づくにつれて増加することがあります。ただし、出現頻度は患者の状態や調査対象によって異なります。
せん妄が起きると、患者本人が混乱や恐怖を感じるだけでなく、家族も「急に様子が変わってしまった」と戸惑うことがあります。
せん妄の原因を評価する
せん妄は、単に年齢やがんの進行だけによって起こるものではありません。複数の要因が重なって生じることがあります。
主な原因として、脱水、感染症、呼吸不全、腎機能の低下、電解質の異常、薬剤の影響などが挙げられます。これらの要因によって身体の状態が変化し、脳の働きにも影響が及ぶことがあります。
そのため、患者にせん妄がみられた場合には、まず原因を評価することが重要です。脱水や感染症など、治療によって改善が期待できる原因があれば、その対応を検討します。薬剤が影響している可能性がある場合には、使用している薬を見直すこともあります。
一方、終末期では、原因を取り除くことが難しい場合もあります。その場合には、患者の苦痛や安全性に配慮しながら、症状を和らげるための対応を考えます。
環境調整と薬物療法を組み合わせる
せん妄への対応では、薬物療法だけでなく、患者が安心して過ごせる環境を整えることも重要です。
例えば、周囲の騒音や刺激を減らす、昼夜の区別がつきやすい環境にする、なじみのある人が落ち着いて声をかけるなどの工夫が考えられます。患者が混乱しているときには、強く否定したり、無理に説明を理解させようとしたりするのではなく、安心感を与えるように関わります。
症状が強く、環境調整や原因への対応だけでは改善しない場合には、薬物療法が検討されることもあります。ただし、使用する薬剤は患者の状態やせん妄の原因などを踏まえて判断する必要があります。
ここでも、重要なのは患者の言動だけを問題視しないことです。普段と異なる行動の背景には、身体的な苦痛や意識の変化が隠れている可能性があります。
せん妄を適切に評価し、患者が感じている恐怖や混乱を少しでも軽減することが、終末期の安心につながります。
9. その人らしい最期を支えるために――治療の量よりも、ケアの意味を考える
悪性腫瘍の終末期ケアでは、痛み、呼吸困難、食欲低下、悪液質、せん妄など、さまざまな問題に対応する必要があります。しかし、個々の症状に対する治療だけを考えていては、十分なケアにならない場合があります。
患者が何をつらいと感じ、どのような時間を過ごしたいと望んでいるのかを理解することが大切です。
例えば、輸液によって身体の水分を補うことが医学的に可能であっても、それによって浮腫や呼吸困難が悪化するならば、患者にとって望ましい結果にならないかもしれません。食事量を増やすことが難しくても、家族と食卓を囲む時間を持つことが、患者の喜びにつながる場合があります。
鎮静についても、苦痛を和らげることと、患者が意識を保って人と交流できることの両方を考慮しなければなりません。何を優先するかは、患者の状態や意思、治療によって期待できる効果などによって異なります。
そのため、終末期ケアでは、医師や看護師などの医療チームが情報を共有し、患者本人や家族と話し合いながら、個々の状況に合った方法を考える必要があります。
そして、病気の進行によってできることが少なくなっても、患者の希望や尊厳まで失われるわけではありません。身体の機能が低下しても、好きな音楽を聴くこと、家族の声を聞くこと、安心できる人にそばにいてもらうことなど、その人にとって意味のある時間は残されています。
終末期ケアの目標は、ただ生命を延ばすことでも、すべての症状を完全になくすことでもありません。医学的に可能なことと患者が望むことを照らし合わせ、苦痛を減らしながら、その人らしく過ごせる時間を支えることです。
治療を続ける場面でも、治療を控える場面でも、患者の尊厳と意思を大切にする。その姿勢こそが、悪性腫瘍の終末期ケアを支える基本となります。
